ドジャース、ついに優勝!

とにかく、こういうゲームは勝ちさえすればいい。

いつにも増して勝つことが最優先される。だから完投できなくても、まったく悔いはない。いつもそうするように相手チームの打線を1番から9番まで順に思い浮かべ、ただ0点に抑えることだけを考えてマウンドに向かいました。

1995年9月30日、サンディエゴ・ジャック・マーフィー・スタジアムでのパドレス戦。優勝のかかった試合での先発でしたが、僕の気持ちは冷静でした。

本当のことを言えば、バルデスが投げた前日に優勝を決めてほしかった。あの日、僕は絶対に優勝するものだと思って、ウキウキしながらひと足早くサンディエゴ市内のホテルに帰ったんです。翌日の先発でしたから。

そして優勝したら、誰かから〝帰れコール〞がかかってくるはずだと……。早く球場に戻ってシャンパンかけをするために、その電話を心待ちにしていたんです。

ところが、試合は6対5で逆転負け。

で、僕に優勝を決める試合の先発がまわってきたわけです。

残り試合2で「マジック1」という状況での、このパドレス戦は、勝てたことはもちろん、僕自身にとっても納得のいくピッチングができた試合でした。

特に嬉しかったのは7回、1対1の場面で飛びだしたモンデシーのホームラン。

彼は前日の試合をケガで退場しているのに、まさに援護射撃という感じがして、どれだけ勇気づけられたことか。そのホームランを呼んだウォラックのライトへのエンタイトル・ツーベース。足の負傷をおして出場を続けるベテランに対しても同じ思いでした。

さらに8回、ピアザの2ランホームランによる追い打ち。その裏、パドレスの攻撃が1点に終わった時点で〝これで優勝できる〞と確信しました。

そしてウォーレルにマウンドを託した後、僕は急いでアンダーシャツを着替え、アイシングもせずにベンチに戻りました。身も心もワクワクして、何だか都市対抗の代表が決まった試合のことを思い出していました。〝ああ、あの時もこんな雰囲気だったな〞と。

僕がイメージする理想の優勝シーン。それは『僕のトルネード戦記』でも書いたとおり、映画『メジャーリーグ』のラストシーンです。

野茂英雄「シャンパンかけが始まって5分もするとマスコミが入ってきたので邪魔になったというか…」ドジャース初年度に地区優勝を果たした野茂の手記_1
すべての画像を見る

優勝が決まる世紀の一戦の舞台は、大きくて美しいスタジアム。スタンドにはびっしりと詰めかけた観客たち。ボルテージが上がりっぱなしの舞台で、ひとりひとりのチームメートたちが、ひとつずつ見せ場を作りながら最終回へ。

そして、観客の盛り上がりが頂点に達した時、劇的なサヨナラ勝ちで勝負が決まる。近鉄時代から、ずっと僕は、このラストシーンに憧れ続けてきました。

優勝─。僕は結局、プロでのその感激を日本で味わうことはできませんでした。

社会人の時に都市対抗の大阪地区予選で優勝を経験。その時は、会社の寮の広間みたいなところで、限られた本数のビールを仲間と空けたのですが、それでも感激はありました。

そして〝こんな、こぢんまりとしたビールかけでも感動できるんだから、プロの優勝はきっともっといいものなんだろうな〞と……。

そう思ってプロ入りしたのですが、優勝はいつも西武にさらわれていました。僕は、彼らが笑顔でビールかけをしながら、はしゃいでいるシーンを見ると居ても立ってもいられなかった。