那須川天心から「逃げている」という空気感
武尊は2014年11月3日の大雅戦でK-1にデビューした。アグレッシブな攻撃スタイルと強打を武器にバンタム級を制覇。ファイトだけでなく精悍なマスクは、抜群のスター性を持ち格闘技ファン以外からも注目を集める時代の寵児となっていった。華やかなスポットライトを浴びた当時、心の中にあったのは「恐怖心」だったという。
「K-1では、一番上の僕が負けたらK-1も崩れる…そういうプレッシャーがずっとありました。毎回、メインイベントでの試合だったので、『絶対に勝って締めなきゃ』という以上の思いがあったんです。
それは『ただ勝つだけじゃなくて一番面白い試合をして、大会が盛り上がる締め方をしなきゃ』とか試合が決まると『お客さんをいっぱい入れなきゃ』といった責任感を持っていました。
そのために芸能活動も始めて、おかげさまで格闘技を知らない一般の方々からの注目は集まったんですが…二階級制覇をしたぐらいからプレッシャーが強くなって『この人気をもっと上げたいし絶対に落としたくない』とメディア活動は何も断らず、来た仕事全部受けていたんです。時には、試合直前なのにテレビの仕事でロケへ行ってたこともありました」
団体を支える責任感からリング上で観客を魅了する勝ち方はもちろん、芸能活動でK-1をPRすることも全力で務めた。それは自分が頑張らなければK-1という団体もダメになってしまうという「恐怖心」でもあった。
「毎日、自宅から自分で車を運転して、都内まで2時間以上の道を通っていました。メディアの仕事して、帰ってジムで練習して、夕方はまた違う仕事に行って、夜は支援してくださる方々と会食…そんな詰め詰めの生活を3年ぐらいやっていました。そんな中でプライベートの時間も作れず、心の余裕がだんだんなくなってきたことに気づき始めていました」
K-1で連勝街道を驀進していた当時、同じキック界で別のスターが誕生した。その男こそ那須川天心だった。武尊がK-1デビューした2014年にキックボクシングで初陣を飾った那須川は、2016年3月に「RISE」でISKA世界バンタム級王座を奪取するなど無敗の快進撃を続け、「RIZIN」と契約。
そのリングでも数々のビッグマッチを制し、実力を証明した。当時「RIZIN」はフジテレビ系の地上波のテレビで中継されていたため、武尊と同じように世間一般での知名度を広げていった。そして那須川は、「武尊との対戦要求」を公の場でブチ上げていった。
しかし、K-1と契約している武尊は、団体の意向もあり沈黙するしかなかった。
「心の余裕がなくなってきたころにちょうど那須川選手が僕に対戦要求してきて、その時は団体の都合で試合はできませんでした。ただ、向こうは地上波で放送していましたから影響力も大きくて、『僕が逃げている』みたいな空気感が出てきたんです」
そして、そんな武尊を襲ったのがSNS上でのおびただしい誹謗中傷だった。