どん底から復活! 新たな挑戦も

連載を多数抱えて、作品のアニメ化も大ヒットし、テレビでレギュラー番組を持つなど、「天才ギャグ漫画家」として、一世を風靡した赤塚。

20代前半でいったん売れ出してからは、30代、そして40代前半と怒濤のように駆け抜けました。ところが、酒量が増えるにつれて、順調だった仕事に陰りが見えはじめます。

46歳のときに『週刊文春』で11年続いた連載『ギャグゲリラ』が終了。50歳を前にした時点で、連載はほとんど終了します。暇になったからと昼から酒を飲むようになり、状況はますます悪化していきました。

そのうちに指が震えて、幻覚症状や色覚異常にまで苦しめられたというから、漫画を描くどころではありません。しまいには、ろれつが回らなくなり、言語障害にまで陥りました。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

そんなどん底の中で行われたのが、冒頭で書いた、前妻の登茂子も同席する異例の再婚発表会見でした。

入院中も献身的に支えてくれた真知子が正式に妻となったことで、50代にして、赤塚の新たな人生が始まったのです。

それでも、依然として依存症との闘いは続き、仕事がない状態が続きます。

一時期は、真知子が家の売却を考えたほど経済状況は悪かったといいます。前途多難な50代が始まったと、赤塚自身も考えたことでしょう。以前のように世間が自分の作品に注目することはもうないだろうと、諦めの気持ちもあったのではないでしょうか。

しかし、赤塚はかつて何者でもなかった自分に、いきなりピンチヒッターとしてチャンスが巡ってきたかと思えば、たちまち道が拓けたことを経験しています。つらい時期には飛躍の記憶が、しばしば気持ちを落ち着かせてくれるものです。

そして、まさかの事態が巻き起こります。

1987年5月、テレビ東京でアニメ『天才バカボン』の再放送がスタートすると、放送時間帯視聴率で第1位に輝いたのです。

この快挙によって、漫画の『天才バカボン』は『コミックボンボン』で再び連載が行われることになり、さらに『おそ松くん』の連載までスタート。赤塚は1年半にわたって入退院を繰り返しながら、再び猛烈に漫画を描きはじめました。

写真はイメージです(PhotoACより)
写真はイメージです(PhotoACより)

とはいえ、仕事が復活しても酒を断つことはできず、入院して点滴で酒を抜いては、また退院後に酒を飲む……ということを繰り返しました。

唯一の救いは、仕事中には飲まなかったこと。そこで、赤塚は50代最後の年に、新しいことに挑戦しています。