悪を際立たせる主人公の立ち位置
悪役キャラに必要な条件のひとつは、「主人公は、こいつに勝てそうにないんじゃないか?」と読者が心配になるほど強い! ということですから、第1部では、とにかく「ディオはこんなにすごい!」ということを描いていた記憶があります。
相手が強ければ強いほど、主人公vs.悪役の戦いがおもしろくなりますし、主人公はその困難な戦いを通して大きく成長できます。貴族の息子として幸せに暮らしていたジョナサンに対し、強烈な悪の魅力を放つディオは常に先を行っているので、その分、ジョナサンはどうしても平均的な人物にならざるを得ません。
そんな平凡な若者だったジョナサンも、強大な敵であるディオと戦うことで、大切なものを守り抜くヒーローになっていきます。ディオという素晴らしい悪役の存在が、ジョナサンをそこまで引き上げていったのです。
一方、悪役というものは主人公がいてこそ成り立つのですから、悪を魅力的に描くためには、主人公をどういうキャラクターにするかということが軸になります。
ジョナサンをディオと同じくらい強烈なキャラクターにするということもできなくはないですが、必ずしも「善」と「悪」を拮抗させる必要はありません。平凡なジョナサンは、いわば『シャーロック・ホームズ』シリーズにおけるワトスンの役回りで、ファンタジー漫画の中の「基準点」という立ち位置です。
『魔少年ビーティー』の公一くん、あるいは『ジョジョ』第4部の康一くんのような、読者と同じ常識を持っているキャラクターという「ゼロ地点」があるからこそ、そこと悪との間にあるギャップの激しさが浮き彫りになっていきます。
漫画には、こういう平凡な人物が少なくともひとりはいないと、何が基準かわからなくなってしまう恐れがあり、もし出てくるキャラクターが皆、ディオのようなタイプだったら、ああいう邪悪さが「普通」になってしまうでしょう。