絶望の50代を乗り越えて、実りある60代へ
それは、戦後50年を漫画家と振り返る『赤塚不二夫 バカボン線友録!』の「毎日連載」です。
1995年、第二次世界大戦が終了して50年の節目で行われたスポニチの記念特集のコーナーで、赤塚も原稿を書くことになったのです。
漫画ではなく文章とはいえ、毎日連載を続けるというのは簡単なことではありません。体調面をよく知る周囲が不安視するなか、赤塚は72回分、一度も原稿を落とさずにやり抜きました。
毎日連載の最終回が掲載された3カ月後、赤塚は還暦を迎えます。激動の50代を、大きなチャレンジで締めくくることができました。
再びエンジンがかかった赤塚は、61歳で新作漫画『誰も知らない偉人伝』に着手。さらに翌年の62歳のときには、大規模な展覧会を開いて、全国を行脚します。
現役の漫画家が美術館で展覧会を行うのは、初めてのことでした。
しかし、そんな活躍ぶりにもかかわらず、人生のタイムリミットが近づいてきます。
2002年、66歳のときに、赤塚は検査入院中に転倒。脳内出血と診断されると、これ以来、仕事はできなくなりました。その2年後、68 歳から植物状態となり、2008年に72歳でこの世を去ります。
まだまだやりたいことはあったことでしょう。しかし、50代前半で数年後の死を覚悟していたことを考えれば、まさに「仕事によって生かされた」人生でした。
30代、40代で成し遂げたことが、50代でまた別の角度から評価されることもあるかもしれません。そして50代で新たな挑戦を行うことで、60代以降を生き生きと過ごすことにもつながっていきます。
50代で絶望感に打ちひしがれても、また浮上できる――。赤塚の壮絶な人生は、そのことを私たちに教えてくれているようです。
文/真山知幸













