いじめを経験したアパレル勤務時代
古澤未来さんはダンプドライバーとして働く一方で、TikTokやYouTubeでも注目を集めるインフルエンサー/モデルとしても活躍している。
実は、過去にはファッション誌「ニコラ」の読者モデルを経験するだけでなく、アパレル業界で働いていたこともあるそうだ。
しかし、そこでは、今の仕事現場とはまったく異なる世界が待っていたという。
――ダンプドライバーとして実家で働くのは、昔から決めていたんですか?
古澤未来(以下、同) いえ、全然そんなことはなくて。もともとは、高校を卒業したら化粧品会社の美容部員になりたいと思っていたんです。高校生の頃にモデルの仕事をしていた関係で、化粧品にすごく興味があったんですよ。
でも、留年してしまって、結局高校には6年間通うことになっちゃって……。勉強が苦手で、テストでも赤点を取りまくってました(笑)。
それで、21歳のときにようやく高校を卒業したんですが、弟が専門学校を卒業したのと同じタイミングだったんです。
弟は卒業してすぐに仕事が決まったので、「私は何も決まってない。どうしよう……」って焦っていて。
でも、実家の仕事は18歳くらいから手伝っていたので、とりあえずバイト感覚で続けることにしたんです。それで気づけばもう15年経っていましたね。
――家の仕事以外にも、どこかで働いていたんですか?
今の仕事を始める前に、いろいろ挑戦したこともあったんですけど、全然続かなかったんです。
高校時代にアパレルで働いたこともあったんですが、半年で辞めちゃって。コンビニも、2ヶ月で辞めましたね……。
――なぜ他の仕事が続かなかったのでしょう?
実家が現場仕事をしている関係で、小さい頃からずっと男性に囲まれて育ってきたんです。だから、女の子同士の陰口とか、グループでの行動に馴染めなくて……。そういう人間関係がしんどくて、長く続けられませんでした。
たとえば、コンビニのバイトで「シフト変わって」って頼まれたとき、正直に「変われない」と返したら文句を言われたり、アパレルで働いていたときには、いじめを受けたりしていました。
――具体的には、どのようないじめを……?
SNSで「死ね」とか「ブス」とか、めちゃくちゃ悪口を書かれたり、「○○(ブランド名)なめんな」「店頭でお前のことなんか見たくない」と言われたり……。バイト先のロッカーの中をぐちゃぐちゃにされたこともありました。
最後は、もう職場に給料を取りに行くのも嫌になって、電話で「辞めます」って伝えて、親に給料を取りに行ってもらいました。
あのときのことはいまだにトラウマで、いじめてきた人たちの名前は、今でも全部覚えています。
――反対に、ダンプドライバーの仕事を15年間も続けられたのはなぜですか?
職場は男性ばかりなので、みんなサバサバしているし、影で悪口を言われることもないんです。
言いたいことがあれば直接言ってくれるし、そういう環境が私にはすごく居心地がよくて、気づいたら続けていました。
でも、私けっこう仕事が大雑把で、今でも怒られることはありますけどね(笑)。