大泣きしてまで退社した吉本興業…解散の真相は?
――昨年の3月に「尼神インター」を解散した誠子さん。2024年はコンビ解散や吉本興業退社など変化の年だったと思います。
誠子(以下、同) 正直、吉本を退社するのは悲しかったです。マネージャーとか自分がお世話になった人とかが引き止めてくれるたびに泣いて。
最終的には吉本本社で打ち合わせしたら辞めたくなくなっちゃいそうだったんで、LINEで退社しますって伝えました。
私は渚(現:ナ酒渚)から「解散しよう」っていきなり言われた側なので、びっくりして悲しかった。けど解散を悲しい出来事のままで終わらせたくなかったんで、これを機に新しいことにチャレンジしようって決めて。
何かマイナスの出来事があったときには、新しいことを始めるようにしているんですよ。
コロナ禍でも、自分が一番苦手なことに挑戦するのが面白いって思って料理を始めて、それが今、調味料とかキッチングッズを開発する仕事に繋がっていますしね。のちのち悲しかった出来事がチャレンジしたことによって、いい思い出にしていきたいんですよ。
――今は主にどんな活動をされているんですか?
芸人としてはメディア出演やライブ出演をしています。たとえば、面白いところだと社会人漫才の大会審査員もやらせてもらいましたし、最近知り合った高校生漫才師の卒業公演にゲストプロ芸人として出演予定なんです。
フリーになって吉本以外の方とお仕事する機会が増えましたね。
ほかにはライフスタイルブランド「merci」の運営をしています。あと「誠子食堂」という食のイベントや、演劇コントなどのライブ事業もやっていますね。
去年は演劇コントがやりたくて、下北沢の「駅前劇場」に手書きの企画書や計画書を持っていってプレゼンみたいなことをしてました(笑)。
――PCではなく手書きで!? 情熱を感じますね。
自分らしさを出したかったのと、企画が通ってほしかったので手書きにしたんです。企画書を作るのも初めての経験でしたね。