不思議な生き物、ピョコルンの驚愕の変貌
―― ペットのピョコルンも非常に重要な存在です。可愛らしいこの動物が、人間の性処理の対象となっていくことにぎょっとしました。
母親のことを考えているうちにああなったように思います。家庭の中で、搾取されていたり、性的に見られたりする生き物を見てみたかったんです。
―― ピョコルンはパンダとイルカとウサギとアルパカの遺伝子が偶発的に組み合わさって出来上がった生き物だとされています。村田さんの中で明確なビジュアルはあるのですか。
一応あります。絵も描いたんですけれど、美人なアルパカみたいな感じです(と、創作ノートを見せる)。
―― ああ、確かに美人のアルパカですね(笑)。やがてピョコルンに人工子宮を与えて人間の子供を出産することが可能になり、ここからがもう、輪をかけてまさかの展開で……。
自分は小学生の時から田舎に帰ると「安産型の腰だ」などと言われ、親戚のために子供を産む家畜みたいな目線を大人たちから常に注がれていた記憶があります。ああした眼差しがなぜ生まれるのか、見ている側の世界を知りたかったんです。
―― 人々はどんどん思考停止の方向へいっている印象でした。怒りが「汚い感情」とみなされて、避けられ、隠されているところとか。
海外に行く機会が増えたことで、日本ほど怒りを表明することに批判的な国ってあまりないかも、と感じるようになりました。前に「変容」という、怒りが消えた世界の短篇を書いたことがあって(『丸の内魔法少女ミラクリーナ』所収)。その時に「怒りが消えるなんておぞましい」という感想の人もいれば、「アンガーマネジメントができていて素晴らしいですね」という感想の人もいて、意見がぱっくり分かれました。それも日本特有かもしれませんね。昨年半年間滞在したスイスなどは、自分の怒りや違和感を表明することを大事にする文化のような気が個人的にしました。
さきほど水槽のお話をしましたが、この小説は、その水槽が抗いようもなく日本製であるというか。まっさらなガラスを用意したつもりだけれど、ガラスも中に入っている液体も日本という文化から発生したもので、だからこういう展開になったのかなと思います。スイス製のガラスと水だったらまた違った話になったのかも、と今思いました。
―― 他にもはっとさせられる要素がたくさんありました。これまで書かれてきたもののエッセンスが詰まっていますね。
私はデビューからずっと、ひとつのすごく長いものを書いている感覚があります。ひとつ書き終えると、そこでちらっとしか出てこなかったものを、次に書きたくなります。基本的に書き終えたその日か翌日に新しいものを書き始めるので、結局繫がっていくというか。今回も、書き終えたことで書きたいことがむしろ増えました。
―― この長さだから書けたと感じるものはありますか。
長さもありますが、連載だったからこそできたシーンがいっぱいあります。これまではある程度出来上がってから見渡して全体をカチカチ動かしていたんですが、連載ではそれができなくて。できないことによって発生した会話や出来事がいっぱいありました。
―― また連載をしてみたいですか。
そうですね。長さだけは調節したいので(笑)、もうちょっと、連載前にちゃんと仕上げておこうと思います。