アレクサンドル・リトビネンコ氏=サーシャ KGBの元職員、英国に亡命しロシアに対する反体制活動家となったが、2006年英国でロシア政府によって毒殺された
マリーナ・リトビネンコ氏 アレクサンドルの妻 夫がロシア政府に殺されたことを裁判で証明した
オレグ・ゴルジエフスキー氏 元KGB職員、民主主義のためにMI6(英国の秘密情報部)で活動した伝説的なスパイ
私(著者の小倉氏)はマリーナ氏や周辺への取材を通じて、ロシア政府による暗殺の実態を明らかにしていく
伝説のスパイの経歴
ゴルジエフスキーは第2次世界大戦が始まる前年の1938年、モスクワで生まれた。中国東北部周辺では日本軍とソ連軍の間で緊張が高まり、欧州ではヒトラー率いるナチス・ドイツがチェコスロバキアの一部を占領し、オーストリアを併合していた。
KGBに勤務する父の下、特権階級に与えられるマンションに暮らし、食べ物は十分にあった。モスクワ国際関係大学で歴史学などを学び、東ベルリンにいた1961年、この街を東と西に分ける壁が建設された。彼が最初に社会・共産主義体制に疑問を抱いた瞬間だった。
自由や豊かさが西側にあるのは明らかだった。東独の住民はみんな西側の生活にあこがれていた。政府は「社会主義の楽園」を唱えたが、市民は誰一人、信じていなかった。彼は自伝に書いている。
〈東独人を楽園に閉じ込めておけたのは、ただ監視塔で武装した警備員によって補強された物理的な障壁があったためだ〉
1962年、正式にKGBに入る。
「大学にいるときにKGBにスカウトされたんです。あの組織は職員を募集しません。有名大学にスカウトを配置している。優秀な学生の中から、秘密情報活動に興味を持ちそうな者を見つけて声をかける。プーチンもそうやってスカウトされました」
ゴルジエフスキーは最初、KGB将校を外国に入国させる部署に配属された。任務の一つはパスポートの偽造である。例えば、送り込み先の国で墓地を歩いて埋葬された赤ちゃんの名前を見つける。出生証明書を手に入れてパスポートを申請する。
モスクワ郊外と東ベルリンにパスポート偽造工場もあった。彼はドイツやスウェーデン、スイスの偽造パスポートを作り、KGB将校に渡していた。
「フレデリック・フォーサイス(英国人作家)のスパイ小説『ジャッカルの日』は読みましたか。あの中にも偽造パスポートを取得するシーンがあったと思います。おそらくフォーサイスはKGBから学んでいます」
その後、デンマークの首都コペンハーゲンに赴任し、西側の豊かさを実感する。素晴らしいクラシック音楽や絵画があった。市民が美しい歯をしているのにも驚いた。ソ連では当時、虫歯を抜いてしまう人も少なくなかった。
チェコスロバキアの首都プラハでは1967年から、民主化を求める市民によるデモが発生した。コペンハーゲンに暮らし、西側の生活を知る彼には、プラハ市民の要求は至極当然に思えた。
しかし、祖国ソ連の幹部は社会主義体制を揺るがすものと考え、許容しなかった。ソ連軍主体のワルシャワ条約機構軍は8月20日、「ドナウ作戦」と呼ぶ軍事侵攻を開始し、自由を求める市民の声を戦車で弾圧する。ゴルジエフスキーは共産主義体制への嫌悪感をさらに強め、ソ連政府への裏切りが頭をよぎった。
彼は1972年に再度、デンマークに赴任した。1974年の終わりにMI6(英国の秘密情報部)への協力を決意し、翌75年から実際に二重スパイとしてのキャリアをスタートさせる。プーチンがKGBに入った年である。欧州に近いレニングラードに生まれた青年が、秘密情報の世界に身を投じるのと入れ替わるように、ゴルジエフスキーはこの組織を裏切った。