アレクサンドル・リトビネンコ氏=サーシャ KGBの元職員、英国に亡命しロシアに対する反体制活動家となったが、2006年英国でロシア政府によって毒殺された

マリーナ・リトビネンコ氏 アレクサンドルの妻 夫がロシア政府に殺されたことを裁判で証明した

オレグ・ゴルジエフスキー氏 元KGB職員、民主主義のためにMI6(英国の秘密情報部)で活動した伝説的なスパイ

私(著者の小倉氏)はマリーナ氏や周辺への取材を通じて、ロシア政府による暗殺の実態を明らかにしていく

リトビネンコは本物のエージェントだった

インタビューは2時間を超えた。ゴルジエフスキーはジル(ゴルジエフスキー氏の身の回りの世話をしている英国人)に声をかけ、紅茶を持ってきてくれるよう依頼した。

英国ではリトビネンコ(アレクサンドル・リトビネンコ氏)暗殺について、プーチンが命じ、FSB(ロシア連邦保安庁)が実行したとの見方が強かった。一方、それを疑問視する声もあった。「彼はそれほど大物ではない」というのが理由の一つだった。

リトビネンコはプーチンを批判していた。ただ、ポリトコフスカヤ(プーチン批判をしていたロシア人女性ジャーナリスト アンナ・ポリトコフスカヤ)のようにメディアへの影響力はなかった。

ザカエフ(チェチェン紛争でロシアと戦った政治家 アフメド・ザカエフ)のようにチェチェン人を動かすような政治力も、ベレゾフスキー(ロシアから英国に亡命した実業家 ボリス・ベレゾフスキー)のような財力もなかった。ロシア市民に高い人気を誇ったわけでもない。プーチンやFSBにとって、気にするほどの存在だったのだろうか。

この点を聞くと、ゴルジエフスキーは「大物ではない」説を否定した。

「プーチンとその取り巻きが作りあげた嘘です。サーシャ(アレクサンドル・リトビネンコ)は私と同じ組織にいた同志です。私にはエージェントとしての活動を打ち明けました。おそらくマリーナにも語っていなかったと思います。私が妻に二重スパイであることを隠し続けたようにね。それはマリーナを信頼していないのではない。彼女に危険が及ばないようにするための配慮。プロのエージェントの生き方です」

リトビネンコはゴルジエフスキーにはすべての活動を打ち明けていたのだろうか。

「いえいえ。そんなことはありません。彼が暗殺された後、私が調査をしてわかった事実もありました。彼はロンドンに来た当初、ファイブ(英国の国内秘密情報機関MI5)に誘われて仕事をしています。その仕事ぶりを評価されシックス(英国の対外秘密情報機関MI6)に移った。ファイブからの推薦です」

気持ちが乗ってきたのだろうか、ゴルジエフスキーは途中から、「ファイブ」「シックス」と略して語るようになった。

「個人的利益ではなく、人類の幸福のために活動したんですよ」ロシアと戦い続ける伝説のスパイの人生から「人類の幸福」を考える_1
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MI6の協力者として活動する中、リトビネンコはFSBに関連する情報を入手したらしい。

「スペインでの情報作戦に加わり、FSBに保護されているオリガルヒやマフィア関連の情報を得た。それについて彼が私にも語っていない内容がありました。私は暗殺事件後にそれを知り、彼が本物のエージェントだったとわかりました。FSBは彼が何を探り、どんな事実をつかみ、シックスに何を報告するかを把握していた。このままではスペインでのFSBの不法行為が英国に知られてしまう。サーシャを殺害する動機は十分あったはずです」

それに加え、リトビネンコは英国各地でロシアの内情を発表し始めていた。

「サーシャは本を書き、シンポジウムやラジオで話し、大学で講義するようにもなった。秘密情報の世界を知る者が表の活動をするとき、リスクは高まる。サーシャはそれがわかっていなかった。英国にいる限り、安全だと思ったんだろうね」