男女平等で優れていたのは旧社会主義国

エヴァ・フォドルは職場での男女の不平等について、彼女が育ったハンガリーと隣国のオーストリアを比較している。オーストリアは社会主義国ではないものの、第二次世界大戦後に政治体制が分かれるまでは、文化的にはハンガリーと同じ歴史をたどってきた国だ。

1949年の段階では、両国とも大学生の約5分の1が女性だった。1970年代に、ハンガリーの大学では男女比が同じになった。一方、オーストリアで男女比が同じになったのはようやく20世紀も末になってからだった。

1982年にハンガリー人女性で主婦と分類されていたのは、わずか5パーセントだったが、オーストリアの主婦の割合は40パーセントにのぼっていた。1970年代に制定された法律では、オーストリアの既婚女性は、働く前に夫の許可を得なければならなかった。

オーストリアの首都、ウィーン
オーストリアの首都、ウィーン

ハンガリーはなぜ、それほど短期間にジェンダー平等を実現できたのだろうか。フォドルによると、それは法律、プロパガンダ、男女別の定員、たっぷりの出産休暇、工場や職場内に併設された幼稚園や保育所、仕事と結びついた社会・健康奨励金(子どもの看護休暇や補助金による温かい食事サービス)など、さまざまな要因が組み合わさった結果だった。

ハンガリーの社会主義に基づく国家体制は、「短期にとどまらず長期にわたって、男女の不平等を変容させ、縮小し、再定義する」うえで重要な役割を果たしたとフォドルは書いている。「それに対して、オーストリアでは、市場原理、高度な経済成長、自律的なフェミニズム運動のいずれも、ジェンダー平等を一気に実現することはなかった」。

これらの両国を文化の実験場と見れば、どちらの国が急激な変化をもたらしたかは明らかだ。大胆な変化を起こすという点で優れていたのは、社会主義国だった。

旧社会主義国では労働形態が広範にわたって変化したため、鉄のカーテンの崩壊から30年以上が経った今でも、人々は働く女性について、私たちとは異なる考えをもっている。

ドイツ労働市場・職業研究所によると、再統一から数十年が経った2016年に、男女の賃金格差がドイツ東部では6パーセント強だったのに対して、ドイツ西部では23パーセントを超えていた。ドイツ東部のブランデンブルク州にある学園都市コットブスでは、男女間で賃金を比べると、わずかに女性のほうが高かった。

「社会主義国家はジェンダー規範を変えました。賃金を得て働く女性に関する規範は、15年のあいだに変化を遂げたのです」とフォドルは言う。「それは人々の考え方にも長期的な変化をもたらしました。女性が賃金を得て働くという考えは完全に普通のことになり、女性もキャリアをもち、仕事に意味を見出すようになりました」。

フォドルの同僚で、中央ヨーロッパ大学で比較文学とジェンダー研究の教授を務めるヤスミナ・ルキッチは、社会主義体制下のベオグラードで育ったため、「女性だから給料が下がるなど想像もできなかった」と書いており、1970年代に学生としてカナダに移り住んだとき、あまりの違いに、そこでのフェミニズム闘争に参加する自分を想像できなかったとも話す。それまでの彼女の文化体験とはまったく異なっていたからだ。

そして、「デイジーダックが間抜けなドナルドダックとしきりに結婚したがるのにも、ミニーマウスがガレージの壁に車をぶつけるのにも、いつも腹が立っていた」と言う。彼女の家族では、「運転できるのは母だけで、父は技術に関する知識もスキルもまったくなかった」とルキッチは書いている。