アピールは、とっくに終了してるんだよね(笑)
──THE BAND HAS NO NAME、寺田、井上陽水奥田民生、三人の侍、O.P. KING、The Verbs、サンフジンズ、地球三兄弟、カーリングシトーンズ、ABEDON AND THE RINGSIDEなど、ユニコーンとソロ以外にも、多くのバンドをやってこられましたよね。こんなにやっている人は、他にいないと思うのですが。
いや、みんなちょこちょこやってるんだけど、掲げてやってない、ってことでしょ。みんなはもっとしれっとやってるけど、俺は「今これをやってますよ!」っていちいち掲げてるから(笑)。
──ただ、いろんな人と一緒にやりたい、という意志は強いわけですよね。
そうですね。やっぱり楽しいし、やめたくなったらやめていいっていうラクさもあるし(笑)。他のミュージシャンとやると、たとえば曲を作らなくてもよかったりするときもあるじゃん? ギターだけ弾いてるときもあるし、ドラムだけ、ベースだけのときもある。バンドの楽しさの中の、「演奏が楽しい」部分を、いろいろできるわけです。作曲は、あんまりしたくないですもんね。
──演奏は好きだけど、曲を作るのはそうでもない、歌詞を書くのはもっとそうでもない、というのは、ずっとおっしゃっていますよね。
好きか嫌いかって言われたらね、嫌いよね(笑)。でも、もちろん作ってますよ? 昨日も作ってたし。本の中にも俺がどう曲を作っているかは書いてあるけど、でも「大好きです、曲を作るの」って思ったことは、1回もない(笑)。
でも、みんなそうなんじゃない? 活動のいろんなことを考えたら、そりゃあ作った方がいいわけだから、俺も作るんだけど。でも、そういうことを考えなくてもよかったりする現場もあるわけよ、こんなふうにいろいろやっていると。
俺の場合、「自分の音楽はこういう音楽です」とか、そういうアピールは、とっくに終了してるんだよね(笑)。アピールっていうのは、最初に登場して「私、こういう者です!」みたいなことよ? ソロになってアルバム『29』『30』を出したときは、そういう感じでやっていたけど。
でもそれはもう、45歳ぐらいで終了しているの。「こういうことができて、ああいうこともできて」っていうのは、ひととおり伝えたかな、と。そうしたら次は、自分の演奏力の向上だとかさ、もっといろんな音楽に向かうだとかさ、そういう方が楽しいもんね。
PUFFYはプロデュースではなく、新バンドだった
──本には人のプロデュースは向いていないことが、PUFFY をやってみてわかった、という話も出てきます。ただ、結果だけ見れば、PUFFY は大ブレイクしたわけで……。
でもあれは、当時俺が、そのアピール中のちょうどいい時期に、「自分が歌うんじゃなくても、こういうこともできますよ」みたいな感じで、がんばったわけでしょ?
あのふたりも、オーディションに受かったばかりで、それまでなにかやっていたわけじゃないし。事務所もね……事務所がいちばん戦略とか、なにもなかったんだから。あの人たち、仲よしでいつも一緒にいるから、じゃあふたりでどうですか? みたいなさ。
誰にもなんにも戦略がないし、責任もなかったんですよ。今思うと、それがよかったよね。だから、いわゆるプロデュースをしたっていうよりも……俺はユニコーンを解散したばかりだったから、新バンドを組んだみたいな。
自分の作品を作っているようなもんだもん。キーが女の子だし、歌うのが自分じゃない、っていうだけで。そういうのだったら今でもできるよ? でもそれだと、プロデュースじゃないよね。これは本にも書いてあるけど、俺は他人のためにはがんばれないってことなんだろうなと(笑)。
──とは言いつつ、2010年には、HiGE(髭)のシングル「サンシャイン」でバンドのプロデュースもしていましたが。
あれはね、機材レンタル屋だね(笑)。プロデューサーってことで、俺がスタジオにいて、質問されることに答えて……。だから、ほぼ俺、なにもしてないのよね。現場にいて録音してるときに、ちょっと口出しするぐらいで。バンドのメンバーがもうひとり増えたぐらいの感じだから、プロデュースじゃないでしょ?(笑)。
〈後編に続く〉奥田民生が、去年から節酒していた!? それでもタバコは還暦になっても続けるというが…
取材・文/兵庫慎司 撮影/濱田紘輔