「引っ込み思案だった自分に自信をつけようとイベントコンパニオンの仕事を経験」
今年11月に週刊プレイボーイで初挑戦したグラビア写真集が発売1週間で1万DLを売り上げたことが話題になった、ラジオ沖縄『華華天国』のパーソナリティ・竹中知華さん。
自身のInstagramは毎日更新されており、連日のようにショートパンツ姿や豊満な胸元などに注目した記事が出ている。
だが、ラジオ沖縄に入社する前の竹中さんのアナウンサー歴はあまり知られていない。竹中さんは「元NHKアナって書かれてますけど、中央(東京)ではなく地方所属の場合はキャスターなんです」と言う。そもそも学生時代はなぜアナウンサーを目指したのか。
「小学生までは目立ちたがり屋でしたが、中高時代は引っ込み思案になり、広島工業大学に進学したのも理系志望だったからというわけでもなく、なんとなくでした。でも3年生の時に自分に自信をつけようと、イベントコンパニオンの仕事をしたんです。
その時、司会をされていた女性がとても輝いて見えて。その方と帰りが一緒になった時に『あなたはとてもチャーミングだしアナウンス教室にでも通ってみたら?』と言ってくださったんです」
その女性に言われて初めて目の前に広がったアナウンサーという道。当時3年生だった竹中さんはテレビ局への就職活動のため1年間の留年を決意し、『東京アナウンスアカデミー』(現在は閉校)にも通った。そこには現在も活躍するアナウンサーが同期で数名いたという。
「就活ではもちろんキー局をすべて受けましたが、エントリーシートさえ通らない局もありました。あらゆる地方局も受けて、唯一内定をいただけたのが青森朝日放送でした。広島から単身青森に行くことには不安もありましたが、アナウンサーという夢が叶ったことのほうが嬉しかったです。
天気予報やパブリシティ番組などをお伝えするだけでなく、青森の桜祭りの様子などをリポーターとして伝えたり、記者として取材もしたりとあらゆる仕事をさせていただきました」
地元・広島県呉市でも雪は降るが、青森の雪はその比ではなかった。
「アパートのドアを開けるにも雪をかかないといけないし、車が雪に埋まっていたりすることもありました。冬は毎朝雪かきから始まるというのが当時はカルチャーショックでしたね。
車を運転中にホワイトアウトを経験したこともあります。でもそんな中で当時の上司が教えてくださった『アナウンサーに大事なのは知識と心と技術だ』という言葉は、今も大切に心に留めています」













