岸田さんがネタをくれるなら、どんなに楽だろう
ネット上では中国新聞のスクープが拡散され、期待以上の展開となった。一方で、在京の新聞、テレビは後追いの報道をしなかった。中国新聞をはじめ全国の地方紙に記事を配信している共同通信社も後追い記事を出すことはなく、沈黙していた。
今回のスクープは、安倍政権幹部が大規模買収事件の主犯の元法相に多額の裏金を提供した疑惑を示すメモを検察当局が押収していたという事実を報道した。しかも、閣僚や自民党の要職を歴任してきた甘利がメモに記載された通りの事実を認めている。速やかに国民に知らせるべき事実だ。
どこかの社が追いかけてくるだろうと考えていた荒木にとって予想外だった。「地方紙の報道は無視すればいいと考えているのだろうか、それとも単純に裏取りができず、追いかけられないのだろうか」。検察取材で長年の蓄積があり、ネタ元を持っているはずの全国紙と通信社が後追いしてこなかったことは不可解だった。
一方で、永田町では耳を疑うような情報が駆け巡っていた。広島の地元紙である中国新聞のスクープは、広島選出の総理大臣である岸田文雄サイドが情報を流したとの憶測だった。支持率低迷が続き、政権運営が危ぶまれる岸田サイドが、菅や二階をけん制するために情報をリークしたというものだった。
荒木はあきれるしかなかった。「岸田さんがネタをくれるなら、どんなに楽だろう」とも思った。と同時に、権謀術数が渦巻く永田町の闇の深さをあらためて痛感した。その後、ネット上には一部メディアによる岸田リーク説の憶測記事も流れていた。「うそ八百を書く記者っているんだな」。マスコミの世界に身を置く記者の端くれとして、情けない思いも湧いてきた。
それでも、中国新聞がやるべきことは変わらない。取材班のメンバーは2日目の仕事へ頭を切り替えた。
2日目はまず、唯一取材ができていない菅に当たる必要があった。朝から和多が神奈川の菅の自宅マンションに張り込んだ。
河野は、菅が国会を出入りした時に直撃できればと考え、午前中から国会内で待機していた。ただ、期待は全く持てていなかった。既にネット上では中国新聞のスクープが拡散していた。朝刊には二階と甘利の一問一答の記事も載っていた。「菅さんは警戒して国会には現れないのではないか」。そう考え、菅の自宅に向かった和多が直撃できる可能性が高いのではないかと感じていた。
そう考えていた時に、国会内の廊下に菅が突然現れた。菅は、隣にいる他社の記者1人と話しながらゆっくりと歩いてきた。やや機嫌が悪そうな表情だった。中国新聞のスクープを既に読んで、機嫌を損ねていたのかもしれない。