「やれることは全てやろう」

6日の夜、取材班を組む7人の記者が日比谷公園前の日本プレスセンタービル内にある中国新聞東京支社に集まった。7日の役割分担を決めるためだ。「やれることは全てやろう」。そう話し合い、二階、菅、甘利の事務所へ直接取材を求めるための依頼書を作った。

これを分担して7日午前に3人の事務所へ持って行く。取材の約束を取り付けるのは難しいとしても、やれることは全てやるべきだと考えた。甘利が出席する党本部の会合や、二階が出席する派閥会合の取材態勢の打ち合わせも入念にして解散した。

河野にとっては、唯一気がかりだったのは無派閥の菅だった。3人のうち唯一、菅だけは直接取材の見通しが立っていないままだった。

7日は午前10時から手分けをして、3人の事務所に取材依頼書を持って行くことになっていた。河野が担当することになったのは甘利だった。河野は東京支社時代に、甘利を2回直接取材したことがある。

甘利明(自民党HPより)
甘利明(自民党HPより)

広島で河井夫妻が大規模買収事件を起こした2019年の参院選で、甘利は自民党の選挙対策委員長を務めていた。どういう経緯で、克行と案里への資金提供がされていたかを尋ねるため、河野は国会内で甘利を直撃取材したことがある。核心部分は語らなかったが、知っていることはいろいろと答えてくれたと記憶に残っていた。

甘利の事務所に取材依頼書を持って行くと、秘書からの答えはやはり予想通りだった。取材依頼書には、メモの細かい内容まで記載していなかった。「何の取材かよく分からないのに、応じられない」と断られた。

「当然だな」。河野はそう思った。午後には甘利が出席する党本部の会合がある。そこに全力をかけようと思い、国会記者会館へ戻っている途中だった。国会内の廊下の向こう側に、甘利が姿を見せた。

秘書や他社の記者は随行しておらず、甘利は1人ですたすたと歩いてこちら側に向かってきた。全く予想していない場面で直撃するチャンスがいきなりやってきた。躊躇はなかった。

東京支社時代に取材した経験から、甘利は話すことが好きであることは知っていた。ただ選挙の戦略は記者には話せないことも多い。まして選挙資金のことになると、なおさらだ。取材結果には期待を持っていなかった。