プロ野球史に残る「最後の没収試合」

ロッテ時代の坂井には忘れられない思い出がある。1971年7月に西宮球場で行われた首位攻防の阪急戦である。7回表にロッテの主砲・江藤慎一のハーフスイングを主審の砂川恵玄が一度はボールと判定したものの、捕手の岡村浩二の主張で覆し、三振としてしまった。

江藤は猛抗議するも実らず、すると観戦していた中村オーナーが坂井に「判定を変えない以上、絶対に試合再開に応じるなと濃人(監督)に伝えて来い」と命じたのである。

濃人監督は、指示通り選手を引き上げさせてボイコット、放棄試合となった。本来は現場で熱くなった監督の抗議をオーナーがなだめるのが常だが、真逆の行いだった。結局、ロッテはこの件で600万円を賠償金として阪急に支払うことになるのだが、それ以前に現場では大暴動が起こった。

1971年7月13日の阪急―ロッテ戦。球審の判定を理由にロッテが試合を放棄し、球場は大混乱となった(写真/産経新聞社)
1971年7月13日の阪急―ロッテ戦。球審の判定を理由にロッテが試合を放棄し、球場は大混乱となった(写真/産経新聞社)
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それは一般のフアンの仕業ではなく、野球賭博が原因だった。試合が不成立となったためにハンデをつけていた暴力団関係者がケジメをつけないと組には帰れないということで大暴れしたのだ。

西宮球場の窓ガラスをたたき割り、中村、坂井、濃人の乗ったハイヤーを特定すると複数の車で追いかけて来た。何とか逃げおおせたが、坂井は反社会勢力がプロ野球の周辺で公然とうごめいていることに衝撃を受けたのである。

#6に続く

取材・文/木村元彦