【パリパラ】車いす女子バスケ 自力での出場権獲得は16年ぶり! チームを率いるキャプテン・北田千尋インタビュー_1
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「車いすがあれば、もう1回コートに立てるんや」

中学時代はバスケットボール部に所属していた。しかし病気の進行で走ることが困難に。「選手としてやるのは難しいかなーと思って」無念にもコートを去った。

だがバスケットボールが好きな気持ちは変わることがなく、バスケ部のない高校に進学したものの「結局バスケ部を作って、初心者に教えてました」と笑う。この経験から指導者を志し、大学へ進学した。「教員免許を取って、学校の先生になって、バスケ部の顧問ができたらなぁって」

障害者スポーツセンターでのインターンシップにも参加し、職員と話していた時、人生を変える言葉を聞いた。

「走れなくてバスケができなくなったのなら、車いすに乗ればできるよ」

車いすバスケをすることは考えてもいなかった。「それがあるっていうことも知らなかったし。自分がそれに該当する障害者だと思わなかったし」その場ですぐ競技用車いすに乗らせてもらい、練習に参加した。

「なんかもう走れることが嬉しくて。もう1回選手としてコートに立てるんやって」

再び“選手”に戻った北田は、あっという間にのめりこんだ。「自分が抱えていた悩み、バスケの選手にはなれないってあきらめてたことが、車いすという道具一つで解消されるんだとすごい衝撃的で。本当に、あっこれかもしれない、という感じでした」

10年にわたる独学の旅、自己との戦い

すぐにクラブチームに入って本格的に競技生活を始めた。国内で認められ始めてからも独学で練習方法を編み出し、自分に合ったトレーニングを重ねていった。「もともと内にこもるタイプなので、自分との戦いが好きで、練習も1人が好きなんです」

競技への向き合い方も独特だ。「設定した目標をクリアしていく、ゲーム感覚が面白いんです」

たとえば、「大会で12名の代表選手に選ばれたら、ゲーム1個クリア。そこで目標達成できたら、またゲーム1個クリア。もし目標達成できなかったら、再チャレンジ。練習方法を見直してまた1人で黙々と練習する」

自身の成長をゲームのように捉え、一つ一つの課題をクリアしていく。この独自のスタイルで無限に上を目指し、モチベーションと成長を継続している。

暗黒時代からの脱却、チームの変革

2012年からは関西のクラブチーム「カクテル」に入団した。女子強豪チームの主力選手となり、皇后杯8連覇中、個人でMVPを4回受賞するなど活躍。2014年には日本代表入りを果たした。

【パリパラ】車いす女子バスケ 自力での出場権獲得は16年ぶり! チームを率いるキャプテン・北田千尋インタビュー_2

しかし、当時の女子日本代表は、長い低迷期にあった。「国際大会で勝てない時代でした。だから『世界で勝つって何なんやろ? どうやったら勝てるんやろ?』と、勝ち方をほとんど知らない人たちが集まって、もう一度、チームを作り直すところから始めました」

「暗黒時代」からの脱却は、容易ではなかった。「自分がいくら点を取ったとしてもチームが勝てない。本当にすごい無力感を感じた時もありました」だが情熱は持ち続けた。

「バスケしたい、レベルの高いところでやりたい、もっと上手くなりたい」の一心だった。