18歳のジュリー、15歳のチャボの人生に影響を及ぼした

初日の武道館で関係者用のゲスト席に座っていた著名人は、三島由紀夫、加山雄三、大島渚、加賀まりこといった、作家やミュージシャン、俳優や映画監督たちだった。

当時の新聞や雑誌に出た著名人のコメントには、観客の騒ぎ声が大きすぎて、ビートルズの演奏が聴こえなかったという記事がほとんどだ。中には「“音楽”はひとかけらもなかった。音楽でもなんでもなかった」とコメントした評論家もいた。

ところが観客だった少年少女たち、夢に向かう者たちの受け止め方は全く違った。その後の人生に大きな影響を及ぼしたのだ。

写真/Shutterstock
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後にRCサクセションのメンバーとなる、チャボことギタリストの仲井戸麗市(当時15歳)は、北西スタンド側の上の方の席にいた。

「『歓声で演奏が聞こえなかった』とあるけど、それは違う。俺たちビートルズ少年少女は全曲知ってたから、冒頭でジャーンとギターを弾かれれば一緒に歌えた。北西3階の上からでも、ちゃんと聞こえてた。一つの社会現象として観に来た大人たちは、聞こえなかったんじゃなく、聞こうとしなかったんだ」

当時の機材は現在の音響システムに比べたら話にならないレベルで、十分な音量は出ていなかった。そして叫び声や声援がうるさかったのも事実だろう。

しかし、全目と耳と心で懸命に聴こうとしていた人たちにはビートルズの音楽が伝わっていたし、メッセージさえも共有されたのだろう。

ザ・タイガースとして翌年デビューすることになる、当時18歳になったばかりの沢田研二もその一人だった。

1967年2月5日発売、ザ・タイガースの『僕のマリー』(Polydor Records)のレコードジャケット。タンバリンを持っているのが、沢田研二だ。ビートルズ来日公演の数ヶ月後にデビューのために上京したという
1967年2月5日発売、ザ・タイガースの『僕のマリー』(Polydor Records)のレコードジャケット。タンバリンを持っているのが、沢田研二だ。ビートルズ来日公演の数ヶ月後にデビューのために上京したという
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「もう、びっくりしましたよ。周りの女の子の歓声がすごくて音が聞こえないんだから。(中略) ほとんど『ポール!』『ジョン!』という声ばっかりだったから、僕は『ジョージ!』って叫びましたけどね。

1曲目の『ロック・アンド・ロール・ミュージック』はテンポが遅い。レコードよりずっと遅いけどかっこよかった。物凄いものを見たという感じ。こんなものにはなれないとしか思えなかった」

ジュリーはこの時、思った。

「でもビートルズだってデビュー当初は、専門家や同業者は誰も成功するとは思っていなかった。だから、僕らもまったく可能性がないわけじゃない」と。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/Shutterstock

参考・引用
チャボの発言は日刊スポーツ(2013年11月23日)、ジュリーの発言はアサヒ・コムより