#1
#2
#4

「ウクライナの清志郎」に聞いた

3月2日(水)。何という一日だろうか。朝10時半に空襲警報が発令され、僕らはまたあのシェルターに避難させられる。朝の時間帯の警報は初めてだ。シェルターに来た人々の表情をみると疲れ切っている。そんななかでKが「壁をみてください」と言ってきた。

最初はよくわからなかったが、何とシェルターの壁に「日の丸」の絵が描かれていた。クレヨンで誰かが描いたのだろうが、最初は子どもたちが描いたのかと思ったら、退避するときに実際に描いた男性が話しかけてきた。40歳くらいか。報道してくれてありがとう、と。

警報はおよそ20分で解除された。キエフにとどまり続け、脱出のためキエフからの列車に乗ったTBSニューヨーク支局の取材チームが9時間の道のりを経て、西部の町リビウに無事到着したということだ。よかった。

今日は是非とも取材してみたかった人物に、オンラインでインタビューを試みる。ウクライナの国民的人気ロックバンド「オケアン・エリズィ」のリーダー、ヴァカルチュークさんに話を聞くのだ。

「ビートルズがいなければソ連の崩壊は遅れていた」「国土を失ってしまえば何もかもなくなります」ウクライナの清志郎が日本人記者に語ったこと_1
すべての画像を見る

僕は勝手に「ウクライナの清志郎」と命名しているけれど、Kは「ウクライナのサザン」とかわけのわからないことを言っている。彼は今回のロシアによるウクライナ侵攻後、すぐにキエフの街頭に飛び出して人々に抵抗を呼びかけていた。

以降、国内を移動し続け、きのうは激しい攻撃を受けたハリコフにいた。ミュージシャンであるとともに、1人のアクティビストでもある。彼は1994年にオケアン・エリズィというバンドを立ち上げ、数々のコンサートを経て、ロシアやベラルーシにも大変な数のファンをもっている。ロンドンやベルリン、パリ、NYでの世界ツアーも果たしてきた。

ウクライナ国内では1回のコンサートの観客7万人という記録をもつ。国連の親善大使、ウクライナ公式文化大使も務めた。本人はリビウ大学で物理学を専攻していたインテリだ。彼の音楽は多くのウクライナ人に圧倒的に支持されている。2004年のオレンジ革命(ウクライナ大統領選挙の結果に対しての抗議運動)を支持し、2014年のキエフ独立広場での反ヤヌコーヴィチ政権デモ(いわゆるユーロ・マイダン革命)の参加者の前でも歌った。

ロシアのクリミア併合に抗議し、以降ロシアでのコンサートを取りやめた。本当に彼に話を聞くことが出来るかどうか不安だったが、何とできた! 聞きたいことは山ほどあったが、彼を長時間引き留めておくことは危険だ。現に今の居場所は明かせないと言っていた。ハリコフの被害状況をみてきたばかりだった。そのインタビューをごく一部だが記しておこう。