「『いい馬に乗ってるじゃん』って思ったよ」
──岡部さんがビワハヤヒデの主戦を務めていると、弟のナリタブライアンが台頭してきました。その存在を意識し始めたのはいつごろでしょうか
「清水英次が乗っていたんだよね」
呼び捨てにするのが不思議に思ったので取材後に調べると、岡部さんと清水さんは同じ1967年に騎手としてデビューしていた。
ただし、岡部さん、福永洋一さん、柴田政人さん、伊藤正徳さんらがいて〝花の15期生〞と呼ばれた同期生に清水さんはいない。彼は短期騎手課程を修了後に騎手試験に合格してデビュー。岡部さんらは長期騎手課程を修了してデビューしたので、騎手になるまでの過程が異なるからだ。
──清水英次さんは、2歳秋のきんもくせい特別(福島)で一度だけ騎乗しています
「『おーっ!』と思って見ていたよ。いい勝ち方をしていたよね。見たのはVTRかグリーンチャンネルで。あの日はたぶん、こっち、関東エリア(東京競馬場)で乗っていたと思う。清水英次といったら、(騎手として)だいぶ晩年になっていたので時々しか乗っていなかったじゃない。『いい馬に乗ってるじゃん』って思ったよ」
同期といえる間柄が久しぶりに強い馬に騎乗していたことで、ナリタブライアンが岡部さんの脳裏に刻まれたというわけだ。
──岡部さんがシンコウラブリイでマイルCSを制した日に、同じ京都で行われた京都3歳ステークスがナリタブライアンとの初対戦でした
「そっかそっか、その時だ」
──岡部さんはタイキデュークに騎乗して4着でした。記憶にありますか
「ちょっとだけ覚えているけど、なんかもう全然歯が立たないという感じだったね」
ナリタブライアンはこの時、初めてシャドーロールを装着しました
「ああ、なるほどね。凄い馬だなと思ったのは覚えている。この馬たち(自分が騎乗したタイキデュークなどの出走馬)じゃ、全然歯が立たないと思ったね」
──次に対戦したのは朝日杯3歳ステークスでした。岡部さんはタイキウルフに騎乗しました
「やっぱり強いな、こら本物だわ、という意識になっていたね。タイキウルフは、あの馬(ナリタブライアン)とまともに勝負できる馬じゃないな、と思った。1400~1200(メートル)ぐらいで持ち味が出る馬だったからね」
──共同通信杯はヤシマソブリンに騎乗。同じ日の京都記念にビワハヤヒデに騎乗するので本来なら騎乗できないのですが、共同通信杯が降雪によって順延したことで出走投票がやり直されて急遽、騎乗が回ってきました
「『(ヤシマソブリンでは)相手にならない』って感じたよ。その時は、存在感が違っていて『この馬は強いんだ』って誰もが一目置いていた。『強い馬だ、いい馬だ』というのは認識していたからね」
──前日にはビワハヤヒデで京都記念を快勝しました。この段階で近い将来の対決が頭をよぎりましたか
「『いつかどこかで当たるだろうな』と、ちらっとくらい。『どこかでぶつけてやろう』とかは上の人、調教師や馬主が考えることだからね」
──それに当時のナリタブライアンはクラシック前ですからね
「その時は、将来、先の話だろうな、というくらい。話題づくりにはいい。でも、実現してからの話。そう冷静に見ていたよね」