「どこで馬体を並べると思いますか」「最後の1ハロン」

──ビワハヤヒデとナリタブライアン兄弟の共通項や相違点を挙げるとしたら

「同じ兄弟でも父親も違うし、体形も違うし、毛の色もまったく違うから。兄弟と言われても、あまり似ているところがないんじゃないなかという思いはしていたよね」

──ナリタブライアンの印象は

「ホント強いし、丈夫だし、えらい馬だなっていう印象だったね」

この「えらい」とは、出身が群馬県であることを考えれば、「凄い」という意味で使っているのだろう。

「非常にかっこいい馬だなというふうに見えたよね。乗ったこともないし、栗東にいた馬だから年中見ているわけじゃないから詳しいことはわからないのでイメージだけだけど」

──ビワハヤヒデは1994年、4歳時に出走した天皇賞(秋)で屈腱炎を発症して引退

「今思うと、もうちょっとやり方次第では競走生命が延びたんじゃないかな。ちょっともったいなかったな、という思いはすごくある。今どきの考えからするとね。当時としてはそれが普通だったと思うけど、最後は脚を傷めちゃったでしょ?今だったら、ああいうふうにはしないで、無事に全部走り終わって引退ということになったんじゃないかな。ちょっと残念な部分はあるよね」

──ビワハヤヒデで臨めなかった有馬記念はアイルトンシンボリに騎乗して、勝ったナリタブライアンから1秒差の4着でした

「だけどもう全然、相手が違う着差だよね」

第39回有馬記念(中山)で1着を取ったときのナリタブライアン。写真/産経新聞社
第39回有馬記念(中山)で1着を取ったときのナリタブライアン。写真/産経新聞社

さあ、ここから最も聞きたいことに突入する。競馬で言えば、GⅠレースの勝負どころに差し掛かった

──もしビワハヤヒデが無事に1994年の有馬記念に進んでブライアンと対戦していたら、兄弟対決はどちらが勝っていたと思いますか

「間違いなくいい競馬はしていたと思うよ。ビワが普通の状態で出ていて普通にレースを進めたら、おそらく互角の勝負ができたんじゃないかな」

──道中はビワハヤヒデがナリタブライアンの前で競馬をしているイメージが湧きます

「おそらくブライアンより前にいると思うよね」

──どこで馬体を並べると思いますか

「最後の1ハロン」

その言葉を聞いて、私は一瞬のうちに1994年12月25日の中山競馬場に飛んでいた。内にいる芦毛のビワハヤヒデと、その外にいる漆黒のナリタブライアンが純白のシャドーロールを揺らしながら馬体を並べてゴールに向かっている。実際には起こらなかった、もうひとつの世界の出来事が目の前で繰り広げられていた。

写真はイメージ。画像/shutterstock
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──結果は?

「最後は頭の上げ下げでゴールというね……面白いでしょ?」

見ている者が、いや、30年後にイメージしても最も胸を躍らせる展開だ。

──兄弟対決が実現したらよかったなという思いはありますか

「そりゃそうだよ。話題性もあるし、人間同士もそうだろうけど、やっぱり強い馬同士を戦わせてみたいというのは人の考えだよね。みんなそう思うんじゃないの、誰もが」


文/鈴木学

『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)
鈴木 学
『史上最強の三冠馬ナリタブライアン』(ワニブックス)
2024/5/26
2,500円(税込)
400ページ
ISBN: 978-4847074448

衝撃の三冠達成から30年――
今でも根強い「最強の三冠馬説」と
謎に包まれた高松宮杯出走まで
〝シャドーロールの怪物〟の真実に迫る!
伝説のジョッキーたちによって
いま初めて明かされる栄光と挫折の舞台裏。

「やっぱりもう少し長く生きてほしかった。それが一番ですね」(南井克巳)
「(ルドルフと)一緒にやって(対戦して)みたかった、という思いが強かった馬だよね」(岡部幸雄)
「負けた側としても非常に嬉しいですよ。後世まで語り継がれるというのは」(田原成貴)
「見てて史上最強馬だと思っていました。好きな馬でしたね」(武豊)

「栄光のあとに降って湧いてきた不運や不幸は、ナリタブライアンのあずかり知らぬ力によって生まれた『闇』に翻弄されたものといえるかもしれない。
その闇のひとつが『人間』であるのは明白だ。2024年はナリタブライアンの三冠達成30周年という節目の年。個人的なことをいえば、私は同年に還暦を迎える。その節目の年に、現場で最も取材した競走馬の一頭であるナリタブライアンの足跡を辿ってみたいと強く思うようになった。その思いを伝えて実現したのが、この日の南井克巳さんへの長時間にわたるインタビュー取材だった」(著者より) 

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