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映画『仁義なき戦い』と公営競技

年輩の人たちのなかには競輪や競馬にいかがわしいイメージをもつ人もいるだろう。

主演・菅原文太、監督・深作欣二の大ヒット映画『仁義なき戦い』が封切られたのは1973年1月だ。飯干晃一原作のノンフィクションの映画化で実録ヤクザ映画の代表作である。

第一作のヒットでシリーズ化され、74年の「完結編」まで5作が公開された。このシリーズには二つの公営競技場が登場する。

競馬場や競輪場が映画やドラマの背景に登場することは珍しくないが、『仁義なき戦い』で公営競技場は登場人物の活動に直接関わっている。

ひとつは広島競輪場、もうひとつはボートレース宮島(当時の名称は宮島競艇場)だ。どちらも映画の中ではいずれも山守組組長山守義雄 の「正業」の場だ。

映画内で山守組が警備を請け負っている競輪場で、大友組の大友勝利が嫌がらせにダイナマイトを爆発させる。また山守は競艇の施設会社の社長で、抗争中の子分たちが親分の山守に「競艇の社長をやってカネを持ってるのだから抗争資金を出せ」と迫るシーンがある。

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金子信雄演じる山守義雄親分のモデルは山村辰雄という実在の人物だ。

山村は54年に設立された施設会社の宮島競艇株式会社の取締役に就任している。宮島競艇は57年に社名を大栄産業に変更し、59年には元宮島町長の梅林義一社長ら設立時の主要役員が退陣し山村が社長になっている。

64年2月、脱税容疑で大栄産業に広島県警の捜査がはいり山村は7月に起訴される。ちょうど同じ頃、警察は暴力団の壊滅をめざし第一次頂上作戦に乗り出している。

山村組が実際に競輪場の警備を請け負っていたかどうかは不明だが、騒擾事件が頻発する50年代から60年代前半、騒ぎをしかける側も収める側も、そうした人たちが多く関与していた。

開催地の場内整理は地元の顔役が取り仕切るのが当然の時代だったから、ダイナマイト事件はともかく山村組が場内警備を請け負っていたことは十分考えられる。