「牛丼みたいな三拍子で白羽の矢があたった(笑)」
河川が多く水上競技がさかんな江東区出身。中学の部活動でカヌーをしていたが、高校1年生の時に体育の授業で怪我をして車いす生活に。その後、東京でのパラリンピック開催決定がパラカヌーとの出会いとなった。「“江東区在住で、カヌー経験者で、若い”。三拍子揃った選手がいるっていうので誘われました。“早い・安い・うまい”、みたいな(笑)」
普通に怒られる。私にとって水上はバリアフリー
「カヌーで川に浮いていたら、障害があるとは誰にもわからないので、普通に怒られたり励まされたりする。先入観なくみんなが声かけてくれるのがすごく嬉しいです。一人の競技者として見てもらえているっていうところが嬉しいですね。カヌーそのものの楽しさは、純粋に自分が強くなっていくこと。状況によって、向かい風、追い風でタイムが変わってくる中で自分の記録を更新していく、いい漕ぎを追い求めていくというのは、最高に楽しいです」
みるみる頭角を現し日本代表に入り、メダル獲得を目標に臨んだ東京パラリンピックは7位。リオ大会より1つ順位を上げたが、満足のいく結果ではなかった。その後左腕を負傷し、手術も経験した。カヌーをやめようかと悩んだことも。
「東京大会までは、自分が生きていくモチベーションが“東京大会での活躍”だったので、カヌーをやらない理由が見つからなかったんです。みんなが東京オリンピック・パラリンピックに向けて盛り上がっていて、その流れにのっていたので、そこから出る必要がなかったんですよね。だけど、東京が終わって、大学に戻って勉強したり、怪我をしてカヌーができない時期があったりして、カヌーを引退してもいいという選択肢が生まれた。もう競技に戻れないんじゃないかっていう思いもあってけっこう悩みました。
でも、カヌー以外でも楽しいことを見つけて、カヌーに毎日乗らなくても『あっ自分の人生は楽しい』ってわかった上で、それでもやっぱりカヌーをやりたい、強くなりたいと思えたのが、ひとつ成長というか、東京大会との大きな違いかなと思います」
手術を経て、新たな気持ちで競技に向き合った。
「昨年、腕の手術が終わって、自分の手が自分のものになったときに『これでようやく頑張れる。カヌーを頑張れる環境を与えてもらった』って思いました。悩んでいた間にも、競技復帰に向けてサポートしてくれた人たちがたくさんいましたし、この環境を自分で生かしたい、と。コーチの存在も大きいです。西(明美)コーチとカヌーやるのが楽しい(笑)。自分が漕いでる時に『船伸びてるなー、船進んでるな』って思う感覚と、コーチが『いいね!』と言ってくれるのが一致することが多くて」