「本を読まない人」から見た「読書論」
水野 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』、とても興味深かったです。こうしたテーマだと、どうしても「本を読まない人はダメだ」という、読書家による「上から目線」の語り方に終始してしまうイメージがあります。でもこの本は、普段、本を読まない人の目線から書かれていて、そこが新鮮でしたね。
三宅 ありがとうございます。
水野 僕は、読書家が読書しない人を見下す態度が好きではないんですよ。本業が編集者でもあるので、そうした層にアプローチしないと、出版界の未来は明るくないと思っています。
三宅 読書が一部の好事家だけの趣味になってしまうと寂しいですよね。もっとたくさんの人に刺さるエンタメであってほしい、と私もどうしても思ってしまいます。以前会社員をしていたとき、心底それを感じました。たとえば会社の人との会話に「本屋大賞」や「直木賞」なんて言葉が出てくることはないけれど、『鬼滅の刃』とか『呪術廻戦』は出てくるんですよ……! 漫画はすごい。小説や新書もそうあってほしいです。それこそ、「ゆる言語学ラジオ」は会社員時代の上司が聞いていたんです。だからすごいなあ、と思っていました。
水野 おお、嬉しい。
三宅 今回の新書は、ある意味「ゆる言語学ラジオ」と似たようなことをやろうとしているのかもしれません。普段新書を手に取らない人にも、手に取ってほしいなあ、と。「本を熱心に読むわけではない人に本を届けるには、どうしたらいいんだろう?」と会社にいるときからずっと考えていたような気がします。
水野 そもそも、大人になって読書をしているかどうかは、育った環境にかなり左右されていると思います。働くようになってから気付いたのですが、仕事で疲れると、簡単な本しか読めなくなるんです。心も体も余裕がないと認知負荷が低いものしか摂取できなくなる。
だから、学生時代までに、ある程度本に読み慣れておかないと、社会人になってから読書を日常的に行うのはあまりに負荷が大きい。
でも、学生時代までに本を読んでいるかどうかは、家庭環境によってかなり決定されてしまいますよね。
三宅 すごくわかります。
水野 経済資本は、比較的後からでも取り戻しやすいんですが、いわゆる文化資本は不可逆な部分が大きい。そういう意味でも、「読書をしてない人は、人生の半分を損してるんだ」みたいな言説が、自分にはできないですね。
本を読まない人に向けて本を書くために
三宅 水野さんの問題意識、すごくよくわかります。私も本を書くとき、書評の本でも文章術の本でも古典文学についての本でも、いつも「久しぶりに本を読んだ人でも読めるような文体や内容にしよう」と思っているんです。
水野 たしかに、三宅さんの本はそうなっていますね。
三宅 「学生時代にはわりと本が好きだったのに、子育てや仕事が忙しくて最近は読めていない人」がいつも想定読者に入ってる、みたいな……。
水野 本が好きであればあるほど、本をあまり読まない人に届けるのが難しくなりますよね。自分の例で恐縮ですが、2023年の新書大賞になった『言語の本質』という本を僕が面白いと言ったから、母親が興味を持って買ったんです。でも、難しすぎて全くわからなかった、と。そうか、あれは難しいのか、と思いました。僕は感覚が狂ってきてるな、と思って。
そういう「普段はあまり本を読まない人」に向けて本を書くためのチューニングは、どのようにやられるんですか?
三宅 イメージとしては、「自分の祖母が読んでくれたら伝わるだろうか?」「地元の友達が読んだらどう感じるだろう?」などと考えるようにしていますね。祖母や地元の友人にも伝わる言葉を使おう、それくらい説明しよう、と意識してる感じです。
私の地元は高知で、同じ家族で育った弟や妹は本を読まないんです。母親はどちらかといえば本を読む人ではあったので家には本があって、読書環境には恵まれていたのですが、家族を含め周りの人がみんな本を読むわけではないので。そういう人と話しながらチューニングしてるのかも。
水野 とてもよくわかります。僕は愛知の出身ですが、父親だけがよく本を読む人でしたね。それ以外の家族はあまり読まない。名古屋大学の文学部に進学したんですが、そこでつるむ友達もほとんど本を読まなかった。社会人になって、東京に出て出版社に入ったら、こんなに本を読む人がいるんだと思って。東京に来たときのカルチャーショックは、ビルが高いとかよりも、「本を読む人がいる!」ということのほうが全然大きかった(笑)
三宅 わかる! 私も大学に行って初めて、本を読む人ってこの世にこんなにたくさんいるんだ! と驚きました。