『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は半身で書いた?
水野 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで面白かったのは、最終的に経済思想について書かれていることですね。三宅さんは「全身全霊」で生活することが求められることが多い日本社会に対して、「半身」で働く社会に変わるべきなのではないかと提言していますよね。
僕は最近、仕事に使ってないリソースをすべて「ゆる言語学ラジオ」に投下していて、プライベートを完全に捨てている(笑) だから、最後のほうは叱られている気がしました。そういう意味でも、僕にとっては非常にタイムリーな本でしたね。
三宅 ありがとうございます。
水野 それで、三宅さんに聞きたいんですが、本当にこの本は半身で書かれたんですか?(笑) すごい量の文献と、リサーチをしているじゃないですか。
三宅 「半身」だからこそ書けたんですよ。すくなくとも兼業時代の経験がないと、この題材は選ばなかった。
水野 なるほど。自己啓発書やビジネス書も多く引用されてますもんね、SHOWROOMを起業した前田裕二さんの『人生の勝算』とか。働いているときにはどういう本を読んでたんですか。
三宅 ウェブマーケティングの部にいたので、ビジネス書だと上司に勧められた統計学の本も読みましたし、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのマーケターだった森岡毅さんの本もよく読んでた。面白かったです。ちょっと自己啓発書っぽいジャンルだと、経済評論家の山崎元さんやライフネット生命創業者の出口治明さんの本も読みましたね。
水野 骨太なラインナップだ(笑) その経験もあるからこそ、書けたテーマだったんでしょうね。
部活動が「全身社会」を作り出す?
三宅 「全身」社会のテーマはずっと興味があって。たとえば、今も兼業時代も「三宅さん、寝てますか、いつ本を読んでるんですか?」とたまに聞かれるんです。でもそう言われるたび「高校時代の方がよっぽど忙しかったよなあ」と思ってて。
これは自分への反省も含めて考えている……というかまだまとまっていないテーマなのですが、日本における部活の文化が、新書で書いた「全身社会」的な感覚を作っているのではないか? と感じるんです。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』ではドイツの哲学者ビンチョル・ハンの『疲労社会』を引用したのですが、この「疲労社会」という概念はひたすら結果を求められて疲弊する現代社会を指したもの。個人的に、日本の子供たちは、まさに「疲労社会」的だと思っていて。とくに地方の高校生だと、部活も勉強も全力でやってはじめて一人前、みたいな感覚が強いじゃないですか。
水野 地方の進学校って、その傾向が強いですよね。僕も愛知県の学校で、かなり管理型の学校だったのでよくわかります(笑)
三宅 自分の趣味を突き詰める時間があったら、部活をしろ、という価値観がとても強い。ちなみに水野さんの学校で部活は入部必須でしたか?
水野 おそらくそうでした。部活で精神を「修養」することが美徳でしたから。
三宅 私の場合は合唱部だったんですけど、ほぼ体育会系でした。走り込み、腹筋、背筋をやって、朝練、昼練もあって、夜も練習みたいな。楽しかったけど、今は「あれを忙しさの基準にしていいのか?」と思わなくもない(笑)
水野 ブラックだ……(笑) 僕の学校は、高3の夏休みに勉強を300時間やらないと受験生ではないというイデオロギーに支配されていました。それで、学校祭は9月にやるんで、300時間をこなしながら文化祭、体育祭の準備もやらないといけないという、「疲労社会」に支配されてましたよ。
三宅 本当に疲労社会モードですよね。都会で高校時代を過ごした人が帰宅部で映画をよく見てた、という話を聞くと、いいなーって思います。
水野 許せないですよね(笑)