次に経営した雀荘も大成功

──なるほど。それから専業投資家に?

いや。予想外の大金を手にしたから、その後は数年間、仕事もせずフラフラしてました。しばらく経ってからそろそろ仕事しようと思って、今度は手元に残ってた資金で雀荘を経営することにしたんや。もともと麻雀は好きだったんやけど、知り合いが「喫茶店か雀荘でも開きたいなぁ」ってつぶやいてたのを聞いて、「これや!」と思ってな。

──決断が早いですね。雀荘の経営も上手くいったのでしょうか?

これもまた、ちょうどタイミングよく麻雀ブームが起こったんですわ。1969年から阿佐田哲也という小説家が『麻雀放浪記』いう小説の連載をはじめて、それがすごく流行ったんや。

1970年代に麻雀ブームを牽引した、阿佐田哲也の代表作『麻雀放浪記』
1970年代に麻雀ブームを牽引した、阿佐田哲也の代表作『麻雀放浪記』

──読んだことあります。すごい影響力だったんですね。

そやな。あとは、当時は"モーレツ社員"なんて呼ばれてた、朝から深夜まで馬車馬のように働くサラリーマンがたくさんいてな。終電を逃しては、よう雀荘に来てくれたんよ。「家に帰るよりもここで麻雀してたほうがいい」言うて徹夜で麻雀して、そのまま出勤する人も多かった。

──なるほど。

あと、近くに甲南大学いう大学があってな。甲南大学は、前身が社長や華族の子女を受け入れる旧制7年制高校だったこともあって、裕福な学生が大勢いたんですわ。

そんな感じで、雀荘を開いたらそこの学生が来てくれるんちゃうかって予想してたら、それがピタリと当たったんや。女の子を膝に乗せながら麻雀してた医大生なんかもおったわ(笑)。
 

──漫画みたいな話ですね。

昼は大学生、夜はサラリーマンがひっきりなしに雀荘に来てくれて、雀荘は予想以上に繁盛しました。最終的に、24時間経営の雀荘を3店舗経営するようになってな。

もう時効だから言うけどな、「24時間営業」いうのは風営法違反や。というても、交番の警察官とも仲よくしてたし、あの頃はそういう営業でも許される牧歌的な時代でもあったわ。

雀荘では月200万円くらい稼ぐことができて、その頃はいい思いをさせてもらいました。

──茂さん、なにやっても上手くいくんですね。そこからどうやって今のような専業投資家に……?

雀荘を経営してる間は忙しかったから、サラリーマンが余剰資金で投資するのと同じような感じで株式投資をしてたんやけどな、株っていうのは元手の多寡がものをいうやろ?

「もっと株で儲けるために資金をどう工面するか」って考えたとき、常日頃から「店を売り渡してほしい」言うてきてた常連さんのことが頭に思い浮かんでな。雀荘3店舗を6500万円で売り渡して、1986年頃から投資に専念するようになったんや。