専業投資家、バブル崩壊、そして阪神淡路大震災
──専業投資家になってからも順調だったのでしょうか?
専業投資家になった1986年の直後、すぐバブル景気がはじまってな。1985年に1万3000円ほどだった日経平均株価は、1987年には2万円、1988年には3万円を超えて、1989年には当時の過去最高値である3万8915円を記録したんですわ。ちょうどこの時期に専業投資家になった僕はバブルの波に乗ることができて資産はうなぎ上りに増えて、資産を10億円まで増やすことができたんや。
──また時代の波に乗れたのですね。しかし、1991年からバブルは崩壊していきましたね。
そやな。バブル崩壊時には10億円ほどあった資産は2億円ほどまで減ってしまいましたわ。今から振り返ってみると、やっぱりバブル期の株価は異常やったな。企業の実力以上に評価されてました。資産を減らしてからしばらくは投資に身が入らなくなってな、投資は片手間に、夫婦で海外旅行なんかに行ってましたわ。
──旅行したりしながら、気力の回復を待っていたのですね。
そやなぁ。けど、バブル崩壊の傷が癒えないまま、さらにショックなことに阪神・淡路大震災が起きたんや。1995年1月17日。神戸を最大深度7の激震が襲って、僕の住む神戸市東灘区は最も甚大な被害を受けました。
──ご無事だったのでしょうか…?
当時もここに住んでてな。朝5時46分にドーン! って寝床から突き上げられたと思たら大きく揺れて、あれよあれよという間にマンションの玄関部分が潰れてしまってな。逃げる場所はベランダの窓しかなくてな。「急いで逃げなあかん!」ってなんも持たずに女房と2人で窓から逃げ出したんや。
2人とも寝間着のまま裸足で早朝の神戸の街を歩いてな。途中で見かねた街の人からスリッパをもらったんやけど、もう二度と味わいたくない経験やな。全部を失って、震災前から私の自宅に残っているものといえば、目覚まし時計1つだけや。
──大変でしたね……。
わずか5年の間に、バブル崩壊と阪神・淡路大震災という、人生でもそうそう味わうことがないような逆境を経験したわけや。阪神・淡路大震災では、それまで僕が世話になっていた菱光証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)の社員も亡くなってしまって辛かったわ。その後、またしばらく株式投資には身が入らなくなってしまってなぁ。
──再び茂さんが株式投資に専念するようになれたのは、いつ頃だったのでしょうか?
本格的に再開したのは、震災から7年経った2002年頃やな。今となっては当たり前のことやけど、インターネットでの株取引というものに初めて出会って、こんなにも株取引が効率的になったんかと衝撃を受けたんや。
#3に続く
取材・文・写真/山下素童