曙さんが第二の人生を「土俵」から「リング」に求めた理由

「K-1の谷川です」とあいさつすると曙さんは「どうしたんですか?」と尋ねてきた。すかさず「今、部屋の前にいます。込み入った話があるので出てきてくれませんか?」と誘うと、曙さんは谷川氏が待つ、近くの電信柱まで歩いてきた。

大みそかまで時間はない。一気に口説き落とすつもりの谷川氏は、ファイトマネー、大みそかでの対戦、相手はボブ・サップと記された契約書を持参し、曙さんに見せた。すると契約書を見つめた曙さんは「ボブ・サップかぁ」とつぶやくと、電信柱に向かって突然パンチを打ち始めた。

「アポなしでの訪問ですし、僕のオファーは笑われるか怒られるかと思っていました。でもパンチを打つ姿を見たとき、『これはイケるかもしれない』と思いました」
 

その夜、博多市内の料亭で会う約束を交わし、改めて個室で対面した曙さんへ正式に谷川氏はオファーした。

「そのとき、格闘技界の現状などいろんな話をしましたけど、僕が強調したことは『奥さん以外の周囲には相談しないでください。大切なのは親方のやる気です』と繰り返しました。なぜなら、周囲に相談すれば99%反対するに決まっています。それよりも大切なのは曙さん自身がやりたいかどうかの意志。ただ格闘技はケガなど危険な世界ですから、奥さんには相談してくださいと伝えました」

この熱意に曙さんの心は角界からK-1へ傾き、デビューへ向けて妻に相談する意向を谷川氏に伝えた。この瞬間、事実上、曙さんの格闘家デビュー、そしてその後のプロレスラーとしての第二の人生が決まったのだ。

当初の契約はサップ戦を含め3試合。ファイトマネーは、当時のK-1戦士と比べ、破格のギャラだった。谷川氏は今、曙さんが第二の人生を選択した理由をこう想像する。

「金銭面もあったとは思います。ただ、それ以上に曙さんの中でもっと輝きたいという思いがあったんだと思います。親方の仕事はもちろん、相撲界では大切ですけど、それ以上にもっと自分の人生を輝いて生きたいと思ったから、決断したと僕は理解しています」
 

迎えた大みそかのデビュー戦。結果は1ラウンドKOで惨敗。それでも視聴率43%の驚異的な数字は、曙さんが新たなステージで輝いた証だった。

2005年からはプロレスラーとなり全日本プロレス、新日本プロレスなどさまざまな団体で活躍した。訃報に際して武藤敬司ら数多くのトップレスラー、団体がSNSなどで追悼の意を表した。

曙さんは、土俵だけでなくリングからも愛された巨星だった。

取材・文/中井浩一