アポなしで打診した曙の格闘家デビュー

その言葉通り確かにこの年の格闘技界は、リング外での激震が続いた。1月に総合格闘技イベント「PRIDE」を運営する会社の森下直人社長が急逝。さらに2月にK-1を主宰していた石井和義氏が脱税事件で逮捕される。さらに選手の引き抜きを巡り「K-1」と「PRIDE」の対立が深刻化した。

格闘技人気は絶頂期にあったが、こうした対立の余波で大みそかは、「紅白」の裏番組として、日本テレビがアントニオ猪木さんが主宰する「猪木ボンバイエ」、フジテレビが「PRIDE」、そしてTBSが「K-1」の生中継と民放キー局をバックに3つの格闘技イベントが「抗争」する異常事態となった。
 

その中で参戦選手、マッチメイクなどで「一番出遅れたのが僕のK-1だったんです」と谷川氏。フジ、日テレ、さらにはNHK「紅白」を視聴率で脅かす目玉カードが組めない状況に一時TBSはK-1番組の放送から撤退を示唆したという。

「TBSから『やめときましょうか』みたいな感じで言われました。ただ、格闘技人気を作ったのはK-1だという自負がありましたから、僕も引くに引けなくなって、そこで思いついたのが曙さんの格闘家デビューでした」

以前から面識があったことに加え、旧知のスポーツ紙記者から曙さんがプライベートで打撃系のジムに通っている情報を得ていた。

2003年、格闘技K-1に転向し、パートナーとスパーリングする曙さん 写真/共同通信
 
2003年、格闘技K-1に転向し、パートナーとスパーリングする曙さん 写真/共同通信
 

「そんな話が僕の頭の中に入っていて、曙さんがK-1で戦えば『おもしろい』と思いました。それと、テレビでの放送を考えると大みそかは、マニアックな選手よりもお茶の間の視聴者をどう引き付けるかが大事だと思いました。
そこで大相撲の横綱だった曙さんは、子どもからお年寄りまで誰もが知っている方。お茶の間で勝負するには曙さんしかいないと確信しました。対戦相手はそのとき、CMに出たりと、やはりお茶の間でも人気絶頂だったボブ・サップと決めました」

思い立ったのは試合から1か月ほど前の11月。谷川氏は、曙さんを口説くため大相撲九州場所を控えた福岡県内の東関部屋宿舎へ「アポなし」で向かった。スポーツ紙記者から携帯電話の番号を教えてもらい、朝稽古が終わるタイミングを見計らって曙さんに電話をかけた。

曙さんの携帯の着信画面には知らない番号が表示されている。コール音が鳴る中、

「たぶん、出ないだろう」

そう思った谷川氏の不安を打ち破るように「もしもし」と曙さんは応答してくれた。