難民支援につながるアンジェリーナ・ジョリーとの出会い

――MIYAVIさんが、世界での活動に目を向けたきっかけは何だったのでしょうか。

17歳で東京に来て、18~19歳でアジアの国でパフォーマンスを始めて、自分のアイデンティティに向き合いはじめました。なんで俺はギタリストとして西洋の楽器を弾いているんだろう、日本人、アジア人としての自分の存在意義はどこにあるんだろうって。大きな世界の中にいる自分を意識し始めました。徐々に、オリコンではなくてビルボードの中で自分はどう存在できるのかを見たくなった。そこからですね。

――25歳で単身、ロサンゼルスに行かれたことも大きかったですか?

海外に行くようになって、自分の知らなさ、小ささに気づきました。英語もしゃべれなかったから。25のときに身ひとつで行って、発電機を買って、サンタモニカとかヴェニスのストリートでパフォーマンスしたり。やっぱりデカかったですね、海外は。そこからまたワールドツアーもたくさん行って、映画にも出演して(アンジェリーナ・ジョリー監督『不屈の男 アンブロークン』に出演)。ずっとギター持ってガンガンロックしてたのが、いきなり手ぶらでレッドカーペットに放り投げられましたから。「何しゃべればいいの?」っていう感じですよね。

「涙が止まらなかった難民キャンプの帰り道」MIYAVIがアーティストとして誰もが声高に発しない「難民や社会問題」に対して黙らない理由_2

――MIYAVIさんは、難民支援や社会問題への発言をされていますけど、日本でそういう振る舞いをするアーティストは少ないですよね。

あまりメリットないというか、むしろ後ろ指を刺されることの方が多かったりしますから。日本では、エンターテインメントはエンターテインメントとして割り切る文化があります。僕はそのあり方は否定しないし、むしろそういうスタイルでしか成し得ないこともあると思う。とはいえ、子育てや政治もそうだけど、日頃、自分たちアーティストもいろいろなものから影響を受けるし、そういった日々の暮らしや世界の情勢から、切り離せない部分はあると思うんですよね。

まして影響力を持ってくると、発言する意味が大きくなってきて。僕はそれをアンジェリーナ・ジョリーさんの出会いで気づかされました。6人の子どもを育てながら第一線で活動して、かつ難民支援もやって国連でスピーチして、単純にかっこいいなと思ったし、そうなりたい、なれる努力をしようと思いました。