「SMAP×SMAP」が熱狂を生んだ理由
––––「立場を捨てる」以外に、放送作家業を辞める動機はありますか?
40代は自分の立ち位置や振る舞いだけではなく、仕事に対しても虚脱感がありました。特にSMAPの解散以降、120%の力が出づらくなってしまった。
––––鈴木さんは「SMAP×SMAP」を担当されていましたね。
僕は20代のころからSMAPチームと一緒に仕事をさせてもらってきたので、キャリアのほとんどを彼らと一緒に過ごしてきました。
「SMAP×SMAP」を立ち上げた当時は「男性アイドル冬の時代」だったので、アイドルの番組では視聴率が取れないと言われていて。加えて、彼らが番組を回せるなんて誰も思っていなかった。
でも、1996年4月15日。「SMAP×SMAP」は初回で視聴率20%をとって、大成功を収めます。
そこから蓋が開いたという背景もあって、SMAPの番組を担当するときはいつも“奇跡のよすが”を描くようにしていました。彼ら自身のスター性と奇跡が掛け算になると、視聴者や現場に熱狂が生まれるんです。
––––時代を熱狂させる仕事は、やりがいがありそうです。
たしかにアドレナリンは出ますが……「楽しい」と思う余裕はありませんでした。
というのも、SMAPの存在が大きくなればなるほど、スタッフの数も急拡大していきました。その中で自分の存在意義を示すのはとても難しい。いつ自分が呼ばれなくなってもおかしくない。毎日緊張しっぱなしでした。
その緊張感が、2016年12月26日の「SMAP×SMAP」の最終回で、突如終わってしまった。いや、正確にいうと生放送でメンバーが謝罪した2016年1月18日の放送。あの1時間で、終わってしまったんです。
それ以降も、ありがたいことに魅力的な仕事はやらせてもらったのですが、どうにも身体の芯に力が入りきらない。多分、僕はSMAPが解散したときに「死んでしまった」のだと思います。それ以降は、死んでいるのに気がついてない亡霊のような感じ。どんなに仕事をしても、かつてのような興奮状態になれませんでした。