「もう、こっ恥ずかしくてさぁ、イヤだったな」

デビューが決まり、いざレコードを出すという時にも、事務所との食い違いが明らかになった。

「さぁ、いざデビューって時から、ぼくは文句ばっかり言っていた。だって、変なアップリケのついたひらひらのユニフォーム着せられちゃってさ。あれには参った。もう、こっ恥ずかしくてさぁ、イヤだったな。すごくイヤだった。ホンットにイヤだった。だから、デビュー曲の『忘れ得ぬ君』も、おれは歌わなかった。どうしても、歌いたくなかったから」

こうした事情があって、作詞・作曲した松崎が自分で唄うことになった。幸いにも1967年10月にリリースされたデビューシングルA面の『忘れ得ぬ君』はまずまずのヒットになり、ショーケンが唄ったB面の『今日を生きよう』も、同じくらいにヒットした。

デビュー曲『忘れ得ぬ君』(1967年10月25日発売、フィリップス)のジャケット。ショーケンが歌うカップリング『今日を生きよう』は、リビング・デイライトがカヴァーした曲を、作詞家のなかにし礼が訳詞している
デビュー曲『忘れ得ぬ君』(1967年10月25日発売、フィリップス)のジャケット。ショーケンが歌うカップリング『今日を生きよう』は、リビング・デイライトがカヴァーした曲を、作詞家のなかにし礼が訳詞している

周囲からの期待が高まる中、松崎によるセカンド・シングル『神様お願い』を1968年3月にリリース。ショーケンが歌って、スピード感と切迫感に満ち溢れていたことで大ヒットした。

ショーケンはここから一気に注目の的となり、人気の頂点にいたタイガースのライバル的なポジジョンを得て、沢田研二(ジュリー)に対抗するスターになっていく。

そして1970年代に入ると、二人のスター、沢田研二はソロ活動を選び、ショーケンは俳優の仕事へと比重を移していった。

俳優の仕事を始めた頃の萩原健一には、どこか寂しそうでナイーブなジェームス・ディーンのような柔らかさと、型破りで反抗的なマーロン・ブランドのような硬さが同居していた。

2020年11月25日発売の『BEST SELECTION』(徳間ジャパンコミュニケーションズ)のジャケット写真。『大阪で生まれた女』、『酒と泪と男と女』などが収録された、ロッカーとしての萩原健一が楽しめるベストアルバム
2020年11月25日発売の『BEST SELECTION』(徳間ジャパンコミュニケーションズ)のジャケット写真。『大阪で生まれた女』、『酒と泪と男と女』などが収録された、ロッカーとしての萩原健一が楽しめるベストアルバム
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「50年もやっていると、二刀流ができるような“仕込み方”が分かってくる」

「音楽」と「芝居」について、ショーケンは後年のインタビューでこんなことを語ってくれた。 

「音楽と芝居は180度違いますね。似て非なるものなんです。僕はそもそも歌を上手く歌うというより、“語る”ようにして、音と呼吸とリズムを崩さないようにしているんです。

僕の先輩たちは本当に歌が上手い。美空ひばりさんにしても、石原裕次郎さんにしても。けれども、ボブ・ディランの歌は喋っているみたいじゃないですか。マディ・ウォーターズにしても語っていますよね。だから僕は歌を上手く歌おうとは思わない。

ただ芝居は、煮詰めないといけないんです。表面だけじゃなく後ろも横もありますから、研究しがいがあります。だから片方ずつ(音楽と芝居)しかできなかったんですけど、今になってようやく両立してできるようになりました。

50年もやっていると、二刀流ができるような“仕込み方”が分かってくるんですよね。やっぱり、仕込みには時間が掛かるんです。」(※ 2018年の春に開催されたライブ、および新曲発売に合わせて行った『TAP the POP』のインタビューより)

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

<参考文献>
萩原健一著「ショーケン」(講談社)
ムッシュかまやつ著「ムッシュ! 」文春文庫