「土俵に上がるのにかっこつけるな」

中学から高校1年まで相撲の実力においては、鎌谷少年は目が出なかった。しかし、「素直な性格」を読み取っていた山田監督は「必ず強くなる」ことを確信していたという。そして、高校2年から団体戦のレギュラーに抜擢し、3年時には主将に指名した。

2015年に兵庫県洲本市で開催された「全国高校選手権」と「世界ジュニア選手権」では共に団体戦で部を優勝へと導き、自身も「世界ジュニア選手権」では個人戦で優勝している。そうして、この年の秋に佐渡ヶ嶽部屋に入門し、九州場所で初土俵を踏んだ。

山田監督によると、高校時代に鎌谷少年が栄光に辿り着くまでに覚醒した瞬間があったという。それは高校2年の夏。青森県十和田市で開催された全国大会「十和田大会」だった。団体戦で敗れた鎌谷少年に試合後、山田監督は大会が開催されている土俵の隣にある「サブ土俵」で同級生だった日翔志(現・幕下/追手風部屋)と80番を越える「三番稽古」を課した。

「負けるのは仕方がない。ただ、私の目から見てこのときの琴ノ若が『かっこつけている』と思えたんです。私は今も生徒には『土俵に上がるのにかっこつけるな』と指導します。相撲で大切なのは苦しくなったときの辛抱です。

相手に追い込まれたときにいかに我慢できるか。かっこつけていたら我慢なんてできません。あの十和田大会では表彰式が終わるまで三番稽古をやらせました。観客もすべて見ていました。そんな中で厳しい練習をさせることで、我慢することを覚えてほしかったんです」

この高校2年での「十和田大会」での猛練習をきっかけに琴ノ若は「相撲に対する姿勢がガラっと変わりました」と山田監督は振り返る。

大関昇進が決まったとき、山田監督に本人、さらに師匠で父の佐渡ヶ嶽親方、母の真千子さんから「埼玉栄での指導のおかげで大関に上がることができました」と感謝を伝えられたという。「そういってもらえてうれしいですよ。ただ、それは本人の努力。そして、師匠、おかみさんの指導の賜物だと思います」と山田監督は目を細めた。

2024年春場所の埼玉栄出身の関取一覧 埼玉栄相撲部ホームページより
2024年春場所の埼玉栄出身の関取一覧 埼玉栄相撲部ホームページより

琴ノ若の大関昇進により、日本人力士の番付最高峰は、大関・貴景勝と並んでそろって埼玉栄高出身力士となった。さらに今場所は十両以上の関取のうち14人が同校出身。これまでも大関・豪栄道(現・武隈親方)ら角界に多くの名力士を送り続けてきた。プロで大成する力士を育てる秘密を、山田監督はこう明かす。