「なぜ自分が少女マンガなんかの担当に」
当時は少年誌と少女誌で待遇が違ったものです。
編集者はみんな男性でしたから、まったく分からない女の子の感性を相手に勝負をするのは大変苦労されたようです。
それはよく分かるのですが、「少年マンガこそがマンガの王道」という方が多い中で、少女マンガを描いてこられた先輩方は本当に大変だったろうと思うのです。そう聞くとみなさん「いや、別に?」とおっしゃるのですが。
多くが一流大学卒だった編集者の中には「なぜ自分が少女マンガなんかの担当に」という日頃の不満を露骨に態度に表す人もいました。マンガ誌ではない女性誌から依頼があったときは、編集者が「本当はマンガなんぞ載せたくはないが、雑誌を売るためだと上が言うから」と言ってきました。
いわゆる一流大学を出て、東京の有名な出版社に勤めて、「どんな仕事をしてるんだ?」と聞かれたら、「川端康成の担当です」とか言いたいですよね。編集者の中には、「総合出版社に就職したのだから、できれば文芸とか評価の高い仕事をしたかった。なにが悲しくて少女マンガ雑誌の担当なんかしなきゃいけないんだ、ふるさとにも恥ずかしくて言えない」と目の前で言われたことがあります。
失礼な言葉に「なにくそ。絶対にいい作品を描いてやる」と心の中で誓ったものです。「こいつを感動させてやろう」と奮起しました。
でも、分かるんです。小さい頃から少女マンガを読んで馴染みがないと無理ですよね。例えば私が、急にどこかにお勤めして、ロックミュージシャンのマネージャーをしろと言われたら、どうしたらいいか分からないと思うのです。
だけど、出版社の中にはいろんな部署があって、その中の少女マンガ編集部で誰かが仕事をしなければいけません。
そうやってしぶしぶ回された編集が多かった中、1974年くらいに、とうとう「少女フレンド」の編集部に配属になった男性編集者が「少女マンガを担当するのが夢だった」と言ったときは「よくぞ!」と思いました。言いにくいでしょうに、嬉しかったです。
その方は私の担当ではなかったのですが、何だか同志のような気持ちで応援したくなりました。他のマンガ家さんの担当をしてヒット作を生みました。もちろんマンガ家当人の熱意と気力とイメージの力が作品のヒットにつながっているはずですが、「その気」にさせてくれる編集者の力も大きいのです。
みんな自信満々で描いているわけではなくて、どこか心配なんですよ。そんなときに「これは他の人には描けない」と、嘘でもいいからそう言って自信を持たせてほしいんですよね。それが一番いい編集者だよね、とよくマンガ家仲間と話しています。
編集者も使命感が強くて、何か具体的なアドバイスをしないといけないと思い込んでいるみたいなので、大変だとは思うのですが。