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少女マンガ家仲間のこと

『有閑倶楽部』や『砂の城』の一条ゆかりさんは、ずっと「りぼん」で作品を描かれていましたが、最初、私のアシスタントになりたいといって講談社にいらしたのです。

だけど作品を見たらとても上手で、アシスタントどころじゃない。「これはもう、即デビューだ、アシスタントのレベルじゃない」と思い、お断りしました。だけど彼女は未だに冗談で「アシスタントにしてくれなかった」と言うのです。

一条さんは、私よりひとつ年下なのですが、若いときからおしゃれで元気いっぱいでした。『クレオパトラ』を描いているとき、電話がかかってきたのですが、私は締切間際でもう眠くてヘロヘロでした。「じゃあ手伝いに行くよ」とバイクを飛ばして来てくれたこともあります。彼女は月刊誌連載だったから、月のうち半分は集中して描いて、残りは気分転換できていたようです。

「男性のペンネームを使った女性のマンガ家だろう」マンガ家・里中満智子が、ちばてつやの性別を勘違いしていた理由_1
寝る間も惜しんで描くことに勤しんでいたころ 写真/里中プロダクション
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他社で描いている人たちとも知り合ったのが、25歳頃でした。池田理代子さん、木原敏江さん、もりたじゅんさんなどです。作品をよく知っている人だと、初めて会った気がしないし、ワクワクしたものですね。

池田さんと初めて会ったときは「うわあ!」と興奮して、「あれを描いたいきさつはどうだったの?」なんて質問し合って、そのまま延々と朝の4時くらいまでお喋りし続けました。最初は喫茶店に行くのですが、そのうちお店が閉まってしまうので、うちに来て話し込んで。当時は本当に元気でしたね、朝まで喋って、そのまま仕事をしていましたから。

同じ出版社で描いていると何かとつながりが多く、同世代と仕事のことを話すのが良い刺激になります。青池保子さん、大和和紀さんが上京してきてからは、よくお喋りしていました。会って話すだけでは飽きたらず、夜中の長電話もしょっちゅうでした。若かったあの頃は本当に体力があり、徹夜で疲れていてもお喋りしていると目が覚めたものです。

「男性のペンネームを使った女性のマンガ家だろう」マンガ家・里中満智子が、ちばてつやの性別を勘違いしていた理由_2
講談社 写真/AC

編集部に顔を出していたことで、思い出すことがもうひとつあります。

「別冊少女フレンド」だったでしょうか、編集長が「これどう思う? すごく新感覚でいいだろ? この子、ほかの編集部に渡したくないから、ちょっと口説いてよ」と言うのです。家に電話するから、本人が出たら私が電話に代わって「この雑誌で描くのが良い」と誘ってくれと。それが吉田まゆみさんでした。

私もすごくドキドキして、「怖がられたらどうしよう、どういう風に言ったら、いい感じで来てくれるかしら」なんて考えていました。そのときはご自宅にいらっしゃらなくて、お話はしなかったのですが。

編集者は、有望な新人が連載をはじめると、「先輩に挨拶しなさい」なんて連れてくることがありました。先輩だなんて偉そうなのはいやなのですが、地方から出てくると心細いですよね。私もそうだったからよく分かります。それでお話ししたり、「新人賞の読み切り見たよ、頑張ってね」と励ましたりはしました。私も先輩方からそうやって言ってもらいましたから。