最近は、超高級老人ホームに入居した話が大バズ
――現在の平野さんの話もうかがわせてください。超高級老人ホームに入居したはいいけれど、二年経たずにやっぱり東京に戻ってきたという話を「文春オンライン」で書かれてましたね。
そう。頼まれたから書いたんだけど、やけにみんなに話題にしてもらっちゃってね(笑)。
そのホームは結構いいところだったんだけど、あのまま無為な時間の流れの中で老いて死んでいくっていうのが耐えられなくなっちゃったんです。地元(千葉県鴨川)の人たちと一緒になって老人が集えるロック喫茶を開店する話もあったんだけど、僕の左翼時代の逮捕歴を知った役所の人間に逃げられちゃってね(笑)。
そんなこんなで、地元のコミュニティにもどうも馴染めなかったんです。彼らからしたら、外から来て高級老人ホームに入居している連中なんて鼻持ちならない金持ちなわけでしょ。実際にそうやって揶揄されたこともあったし。
まあ、なんにせよ、こんな元気が有り余っている80歳に、至れり尽くせりの老人ホームは早すぎたんでしょうね(笑)。
――再び新宿に戻ってきた途端、革命運動家としても知られる映画監督の足立正生さんとお酒を飲まれている姿がFacebookに上がっていて、「この人はまだまだ世の中をかき回す気満々だな……」と思いました。
わははは。足立さんの『REVOLUTION+1』っていう映画、あれ、凄かったでしょう。いったいどこの映画館が上映してくれるんだよっていう過激なテーマじゃないですか。そしたら、今度はなんと元指名手配犯の桐島聡をテーマにした映画を作るっていうでしょ。そんなの絶対おもしろいだろうし、出資したくなっちゃうじゃないですか。
やっぱり僕はそういうのをおもしろがっちゃうんですよ。音楽でも映画でも、破壊を尽くした上で生まれてくるような新しいものに興味があるんです。
――ロフトの開店をはじめ、ドミニカでのレストランの開業、後のトークライブハウスの展開や老人ホームをいきなり飛び出してしまった話を含めて、平野さんの中で、「これ」となったらすぐ実行に移さずにはいられない情熱がずっと変わらずにたぎり続けているんだと感じました。
若い頃にマルクス主義に決定的な洗礼を浴びて運動をやった経験があるので、青春の蹉跌というか、どうしても先に身体が動いちゃうようなところがあるんでしょうね。
アメリカではブラックパンサー党がいて、パリでは5月革命が起こっているっていう時代の空気にもろに触発されてきましたから。その後いろいろなことがあったにせよ、自分の中でそういう気持ちは未だに生き続けている気がします。
取材・文/柴崎祐二 撮影/杉山慶伍
《前編》はこちら
《前編》1976年、日本ロック史に残る“伝説の10日間”の内幕…「サザンだってジーパンも汚いし、オシャレなんていうのとはほど遠かった」新宿ロフト創設者が証言