戻って来ない「青春」はなぜエモいのか?

まずは実際のCMを見てみよう。本田翼による2012年のCM再開以後、これらのCMは常に大学生と思しき男女の「青春」、それも「雪山での恋愛」が描かれている。本田翼バージョンでは、主人公の男女2人はおそらくお互い気になっているのにもかかわらず、なかなか「好き」ということができない。そのもどかしい状況が、スキー場を舞台に描かれている。

歴代のCM映像、CMソング、広告グラフィックを収録した30周年オムニバス『JR SKISKI 30th Anniverasary COLLECTION』
歴代のCM映像、CMソング、広告グラフィックを収録した30周年オムニバス『JR SKISKI 30th Anniverasary COLLECTION』

いずれにしても、このCMで描かれる恋愛模様は、ある意味、漫画やドラマで描かれる典型例ともいえるもので、「こんな青春、存在しないよ!」とツッコミを入れたくなる(個人的に一番「あるわけないだろ!」と思うのが、2015年の山本舞香と平祐奈をダブルヒロインに迎えたCM。ここでは1人の男性を巡って2人のヒロインが競い合う、という内容のもの)。

見ていると、こちらが恥ずかしくなってくるぐらいだ(でも、見てしまう)。

立命館大学で「エモ」について研究中の浦野智佳は「エモい」という感情の構成要素として「非現在的感覚」を挙げている(「情動を表現する切り口としての『エモい』」)。「非現在」、つまり「現在」にはないようなもの、私たちが生活している「今、ここ」ではもう存在しないような対象に感じる感情が「エモ」だという。

「エモい」と形容されることが多い「青春」は、この意味で、多くの人が経験したことのある青春がすでに過ぎ去ってしまったものとして、もう戻ってくることがないからこそ、エモく感じられるわけだ。

そう考えると、こうしたCMもまた、青春を上手く描くことによって、「エモ」を抱かされているのだろう。ちなみに、これらのCMが「もう戻ってこない青春」に意識的なのは、例えば2019年に放映された浜辺美波のバージョンで「この冬は二度と来ない」とナレーションが入っていることにも表れている。

2019年に放映された浜辺美波のCM

もともとは「レトロ」狙いのCMだった

興味深いのは、山口たちがこのCMシリーズを制作したのは、世間的に「エモ」が言われ始めるより前だったことだ。「JR SKISKI」のCMが再開されたのが2012年、「エモ」が流行し始めたのは2016年あたりのこと。だいぶ、先んじていたことがわかる。山口は前傾したインタビューでこう述べる。

本田翼さんを起用した2012年は、90年代を意識したファッションやカルチャーが流行し始めていました。そこで、ポスタービジュアルも“バック・トゥ・ザ・90s”の流れに乗ってみようということになったんです。

このCMを作り始めた当初、山口が意識したのは、「エモ」的な感性より、どちらかといえば「レトロ」的な感覚であった。1997年にJRに入社した山口は、青春時代を1990年代ど真ん中で過ごした世代である。こうした彼自身の1990年代の「青春」の経験が、広告に影響を与えていると考えられなくもない。

浜辺美波がビジュアルイメージを務めた2019年のポスターは「写ルンです」(1986年から商品化)が使用され、そのザラザラとしたアナログな質感の写真も話題を呼んだ。

現在のネット上ではこうしたレトロなものが「エモ」と結びつけて語られることが多い。それこそ、先ほど見た通り「エモ」が「もう戻ってこないもの」に発生するのであれば、レトロとはまさに「もう戻ってこない、過去のもの」だからだ。

したがって、山口が自身の青春時代に影響を受けた広告を応用にした「JR SKISKI」シリーズが、次第にSNSなどで「エモい」と評価されるようになるのを見て、後追い的に「エモ」路線に自ら寄せていったのではないか。