さまざまな表情と視線の魔術を駆使するまさにスーパースター

そして3月28日の最終回では、当時ほとんどテレビに出なかった吉田拓郎がトリを飾っている。そのことだけでも、極めて意欲的な番組だったことが分かるだろう。

久世とともにそれまでにない挑戦的な番組を考えたのは、朋友といってもいい関係にあった作詞家の阿久悠である。

アーティストの選出にも関わっていた二人が最初に名前を上げた候補者は、五木ひろし、井上陽水、西城秀樹、沢田研二、布施明、森進一、吉田拓郎。7人とも男性だった。

しかし、久世が直接に声を掛けた麻雀仲間の井上陽水が固辞したことで、紅一点のユーミン(当時は荒井由実)が、かまやつひろしと一緒に出てくれることになった。

そのおかげで初期のユーミンとティン・パン・アレーの貴重なコラボレーションが映像として記録されたのだから、結果的には正解だったのかもしれない。

実際には第1回が沢田研二、第2回が森進一、第3回が西城秀樹、第4回が布施明、第5回がかまやつひろし&荒井由実、第6回が五木ひろし、そして最終回は吉田拓郎という順でオンエアになった。

1971年11月1日発売の『君をのせて』(ポリドール)のジャケット写真。沢田研二のソロデビュー曲となったこの曲を作ったのは、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』などヒットさせた宮川秦氏(作曲)、岩谷時子氏(作詞)のコンビ
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そこで何よりも強く驚かされたのは、沢田研二が歌手や演技者というよりも、アーティストとして表現者の限界に挑戦していたことであった。

出演 沢田研二
構成 阿久悠
音楽監督 大野克夫
編曲 東海林修 服部克久
演奏 井上バンド
井上堯之 大野克夫 速水清司 佐々木隆典 鈴木二朗

最後のクレジットロールが終わった後に、ジュリーのアップからカメラが引いて焦点が定まらないまま、ぼんやりした映像が残っている。

その表情が無防備というか、素のままに見えるところに、心が吸い込まれる思いがした。さらにその後に画面に浮かぶ、小さな文字が見事だった。

沢田研二 27才
職業 歌手 
1976.2.15


沢田研二は音楽表現という面においても、他のアイドルのようにカラオケや既存の楽団ではなく、お金をかけて自分のバンドを引き連れて、できるだけ思うようなサウンドを作ろうと努めてきた。

世界の音楽がバンドの時代に変わっていく中で、沢田研二も自分の音楽表現をそのレベルに高めようとしていたのだ。

それぞれの楽曲の世界を歌うこと。踊りや振り付けを加えて、様々な表情と視線の魔術を駆使して、パフォーマンスを表現していく沢田研二は、まさにスーパースターだった。

周囲の歌手やミュージシャンにそうした意識を与えたことも、大きく評価されるべき点だと思う。後に続いたのは、萩原健一と西城秀樹しかいなかった。

誰もが認めるスーパースター・沢田研二は、いつも、自らの限界に挑んできた。

そうした日常の積み重ねによって、75歳を過ぎても現役の歌手として、あるいは俳優として、ジュリーは今もなお、前人未到の地に立っている。


文/佐藤剛 編集/TAP the POP