ロックンロール・スターの飛行機墜落死
数年前に生まれたばかりのロックンロールが全米中のティーンエイジャーを夢中にさせていた1959年ごろ。そんな2月3日未明のこと。
悪天候の中を強引に飛び立った小型飛行機が離陸して間もなく、吹雪のために方向を失ってアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落した。翌朝になって発見されると、パイロット1名と乗客3名全員がすでに死亡していた。
命を落としたのは、エルヴィス・プレスリーに次ぐロックンロール・スターだったバディ・ホリー、メキシコの民謡をロックンロール調にアレンジした『ラ・バンバ』のヒットで知られるリッチー・ヴァレンス、そして「ビッグ・ボッパー」の名で知られたJ.P.リチャードソンの3人である。
この痛ましい犠牲者たちはバディが22歳、ビッグ・ボッパーが28歳、リッチーにいたっては17歳という若さだった。
バディ・ホリーは、ビートルズやローリング・ストーンズに影響を与えた人物としても、今ではロック史で最も影響力のあったアーティストの一人として記憶されている。
ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』の中で、「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わった」というセリフがある。アメリカではそう思った名もなき若者たちが無数にいたのだ。
3人の死から13年後の奇跡
1959年当時、アメリカの小さな町で新聞配達のアルバイトをしていた13歳の少年は、憧れのアイドルだったバディ・ホリーの死を、自分が配達する新聞で知って大きな衝撃を受けた。
それから12年の歳月が流れて、かつて新聞配達をしていた少年のドン・マクリーンはシンガー・ソングライターとなり、ロックスターの悲劇を題材にした8分30秒にも及ぶ大作『アメリカン・パイ』を発表する。
ずっとずっと昔のこと
音楽が人を笑顔にしてくれるものだった頃のことを
僕は今でもよく覚えている
歌詞の中にたくさんの曲名やバンドやスターの名前が織り込まれた異例の大作は、シングル盤のレコード片面には収まらず、A面とB面に分割されて発売になった。
そこには比喩と暗喩が散りばめられて、ドンは曲中で飛行機が墜落した日のことを、「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)と繰り返し歌った。
そして僕らは暗闇で葬送の歌を歌っていた
あの音楽が死んだ日に
その「音楽が死んだ日」からちょうど13年後の2月3日。『アメリカン・パイ』は全米チャートで1位に輝いていた。出来すぎのようだが、本当の話である。