本当のスターならば、ワンマンで90分を持たせるのが当然
それが1976年2月15日から3月28日までの7週間にわたって、日曜日の19時30分~21時にオンエアされた『サンデースペシャル セブンスターショー』(TBS)である。
沢田研二はこの時27歳。近づくとオーラが漂っていたという。
歌が好きで歌謡曲を愛していた久世は、当時のヒット商品だった日本専売公社のセブンスターに引っ掛けて、1社提供によるスペシャル音楽番組を企画した。
テレビにおける歌番組には通常、司会進行役がいて出演者の魅力をトークと歌で引き出すのがセオリーであり、特別ゲストを迎えることも定番になっていた。
しかし、そうしたセオリーや定番に逆らい、久世は本当のスターならば、ワンマンで90分を持たせるのが当然だとばかり、それを証明するかのように挑戦的な番組を考えた。
しかも歌番組とドラマを別チームで作っていたTBSの境界線を取り払って、双方が協力し合うスタッフ編成にしたのだ。
当時、番組の構成を担当したドラマの演出家、南川泰三は自らのブログで当時のことをこう述べている。
「久世さんがとんでもない番組を考え出した。ドラマの演出家に音楽番組を作らせようと言うのだ。題して『セブンスターショー』。 7人のビッグ歌手のワンマンショーで、しかも、正真正銘のワンマンショー。 つまり、普通、ワンマンショーと言ってもゲストや司会陣を含めて多くの出演者がいるものだが、このセブンスターショーは完全に一人で、しかも90分番組という大胆な企画だった」
(南川泰三の隠れ家日記 ブログエッセイ「猿の手相」より)
出演するのは歌手が一人だけなので、番組を盛り上げるためのセットや電飾などに十分な予算をかけた。 そして一曲ごとにセットを変えたり、歌っている最中にセットが崩れ出すなど、考え得る限りの工夫を凝らす。
初回の放送は2月15日。トップバッターを務めたのは、当時の久世が最も惚れ込んでいた沢田研二だった。