80代半ばでマンションを買う
天草旅行も終わり、親の家に戻り東京に帰る支度をしていると、いつものようにエプロン姿の父がお茶を飲んでいた。父の担当家事、食器洗いを終えてくつろいでいるのだ。
本当はどこにも行かず自分専用のソファに座って、この家から窓の向こうの海を眺めたり、テレビを見ていたいのだろう。それほど父は自分の建てたこの家を愛している。
「やっぱり我が家が一番落ち着くねぇ」と幸せそうに父が言った。すると母は、「そりゃそうだけど、時々よそに連れて行ってもらわないと、私はもたないのよ」と反論。母のストレスは極限のようだ。
父はその意味が理解できないようで、大げさだなと笑った。その後、いつものようにメガネがないと、あちこち探し始め、母が重たい腰を上げた。
東京に戻ることに後ろ髪を引かれた。両親には身内に代わって手助けしてくれる人が必要だ。
母に手伝ってくれる人を探そう、タクシーを使おう、お掃除サービスを入れよう、多少お金を払っても楽をした方がいいと訴えるのだが、ことごとく却下された。高齢になったらサービスてんこ盛りの素敵な高齢者住宅に住みたい私からすると、なぜ、もっと人に任せないのか歯がゆいばかりだ。それで母が幸せならいいのだが、疲労をため込み、体調を崩してもなお、自分で全てをやろうと死守する。
その根幹は何なのか。自分のペースを崩されたくない。人に介入されて自分の思うようにできないのなら、きつくても自分でやる、と決めているのだ。