苛めは劣等感と劣等感のぶつかり合い
良い人間関係は、お互いに自然なコミュニケーションができている関係である。
つまり両者ともに意識と無意識の乖離が深刻ではない。
良い人間関係を持っている人は、自分が意識している自分と、「実際の自分」との乖離が深刻ではない。ということは別の言葉で言うと、自分がわかっているということである。
自分が意識している自分と、「実際の自分」との乖離が深刻なら、お互いに心の底では話が通じない。
良い人間関係がない人は、お互いに自分の心の底にあるものを意識できていない。
幸せな人は良い人間関係を持っているということは間違いのないことであるが、同時に逆も言える。
幸せな人は良い人間関係の中で成長している。良い人間関係の中で成長できたから幸せになれたのである。
幸せな人は自然なコミュニケーションの中で成長できている。
幸せになれるかどうかは、心の葛藤に振りまわされるのではなく、自我が心の葛藤に直面できるかどうかである。
本当の自信とは自我の確立でしかない。どんな社会的成功も自信を与えない。どんな業績も自信を与えない。
親に依存心がある限り、自我の確立はない。
それは親に気に入られたいという気持ちが強いからである。親に認められたいという気持ちが強いからである。親に称賛されたいという気持ちが強いからである。
自我の確立がないままに、社会的に活動を始めるから人生はトラブル続きになる。人間関係は努力しても偽りの関係ならうまくいかない。人は相手の無意識に反応する。
自己犠牲的献身は強度の依存性の表れだという。孤独だから関係を作ろうとする。そこで迎合する。関係ができると親しいという幻想を持つ。
自己犠牲的献身は強度の依存性の表れ、それは人間関係のトラブルの自己消滅型解決の典型である。
マゾヒストが自分はマゾヒストと自覚しないで、愛の人と意識している。ナチス親衛隊がヒトラーに忠誠を誓う。親衛隊のモットーは「我が名誉、それは忠誠」である。
現代人は「我が名誉、それはあなたへの忠誠」である。それが非生産的いい人である。
愛されようとして上司に忠誠を誓う。
あるギャンブル依存症の人の話である。彼は少年の頃、いつも愛に飢えていた。
「ギャンブルは私の精神的能力、肉体を破壊した」という。
少年の頃、彼は恥ずかしがり屋だったという。リーダーとして行動することで、「本来の自分」を隠した。
13歳のときに、ポーカーを始めた。参加するたびに、自分は受け入れられていると感じた。
勝った後、学校に行くとき自信があった。
それが人生初めての幸せな日であった。
ギャンブルで得た金で友達にピザをご馳走した。愛されるためにいつも自分が支払った。基本的にこれが非生産的いい人である。
「友達にピザをご馳走した」のが、愛されるための迎合である。ずるい人は、おごる人を餌食にする。ずるさは弱さに敏感である。パワー・ハラスメントするような人は、いつもおごるような迎合タイプの人を見逃さない。
人は相手の無意識に反応する。苛められる人間の無意識の憎しみが相手を不安にしている。
苛められる人間は、自分の無意識にある憎しみに気がついていない。
欲求不満な人は、こういう人を苛めたくなる。苛めは劣等感と劣等感のぶつかり合いである。
弱肉強食ではなく、お互いに心の空洞を埋めあっている。
苛める側もかまってもらいたい。でもふれあい方がわからない。
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