タイ料理に〝一発逆転〟を賭けて

甘糟 今日、稲田さんに伺いたかったことのひとつが「パスタ」問題。いつから「パスタ」と言うようになりましたか?

稲田 僕自身は、大学生の頃からです。

甘糟 やっぱり正確に覚えているんですね。抵抗はなかったですか? あるときまで、男性がパスタって言うなんて小っ恥ずかしい、みたいな空気があったような気がしていて。

稲田 いきりたかったんでしょうね。東京のヒエラルキーから逃げた負い目を、京都で埋め合わせようとしていました。

甘糟 私はバブルの頃くらいかなあと思っているんです。CMに港区っぽい男の人が出てきて、「あの人はスカッシュをしてパスタのゆで具合を気にする男です」みたいな台詞がお茶の間に流れたと記憶しているんですが、そのCM、ネットでいくら探しても出てこないので、幻覚を見たのかなあ。

稲田 バブルからバブル崩壊後が僕の大学時代に重なるので、時期的にはきっとその頃なんでしょうね。

甘糟 日本の津々浦々にパスタが浸透したことを実感するエピソード、面白かったです。1993年に大阪郊外の路上で、ヤンママ風の若い女性が、「ペペロンチーノ、めっちゃハマるで」と喋ってるのを聞いて、感慨に耽(ふけ)る稲田さん。

稲田 ああいうことだけは覚えてるんですよ、鮮明に。

甘糟 私も細部を収穫するタイプです。

稲田 甘糟さんにとって、異国の味といえば何になりますか?

甘糟 私は横浜生まれで伊勢佐木町の近くに住んでいたので、中華街や元町に行けば異国の味にあふれてました。小学生になる前に鎌倉に越しましたが、昔の鎌倉でもイタリアンやフレンチはもちろん、『孤独のグルメ』に出たドイツ料理のレストランなんかもあったんですよ。ですから、異国の味は日常の味だったんですよね。そんな私がカルチャーショックを受けたのはタイ料理でした。味覚的にびっくりしたんです。デザートではなくておかずなのに「甘さ」が堂々と前面に出ていて、「酸っぱさ」も全肯定されていることに衝撃を受けました。「甘じょっぱい」なんていうフレーズがまだ一般的ではなかったですしね。

稲田 僕も生涯でいちばん衝撃を受けた料理はタイ料理です。パラダイムシフトが起きたと本に書いたように、世界がひっくり返ったくらいの衝撃でした。タイ料理は日本人の口に合うポテンシャルを秘めつつ、「辛い」とか「パクチー」とか表面的には超新しいものを纏(まと)っていて、そのバランスが絶妙だった。タイ料理には伊勢佐木町で出会われたんですか?

甘糟 いえ、大人になってからです。広尾にあった、おしゃれなタイ料理屋でした。イタリアンとかフレンチには何も思わなくなっていたから、珍しいエスニックなら行ってあげてもいいかなって感じで。嫌なヤツですよね。

稲田 僕はイタいヤツで、入り口は甘糟さんと真逆なんですけど、同じようなところに行き着いてます。底辺のダンゴムシは、イタリアンやフレンチのような確立された世界で今更のし上がれない。競争の軸を変えたいと思っていた大学時代に現れたのがタイ料理でした。

甘糟 野球やサッカーじゃなくて、クリケットで勝負する、みたいな……。

稲田 そうそう。ピラミッドが成熟していない世界に入り込めば一発逆転できるぞと。当時、タイ料理って、和洋中に続く、新しい文化でしたよね。すっかり浸透して、今は日常になりましたが。

甘糟 稲田さんは異国の料理を本場そのままの味で食べたい「原理主義」だと書かれていますよね。私はエセ原理主義なんです。オシャレ系タイ料理屋に行った後は、本場の料理を出すお店にも行きましたし、タイ料理教室まで通いました。美味しいか美味しくないか、すぐに判断できないものって、もう少し奥まで進みたくなります。

稲田 僕は自分の味覚や好みが特殊で、一般の人が好む味がわからないからこそ、それをリサーチしようとしているところがあるんですよ。甘糟さんは反対に、一般の味がわかりつつ、マニアな世界に足を踏み入れていくんですよね。

甘糟 昔、ホイチョイ・プロダクションズの馬場(康夫)さんに言われたんですよ。君はトレンドウォッチャーと言われているけどむしろ保守的で、新しいものなんかちっともいいと思っていない。どれほどのものか確かめてやろうという気持ちが君の原動力だよねと。ああ、その通りだなと思って。

稲田 新しいものをおいそれとは受け入れないぞと思いつつ、気にはなる。そこにはあのお母様(甘糟幸子さん)の下で育たれた影響もあるのかなと思います。

甘糟 そうかもしれませんね。

人生でいちばん衝撃を受けた異国の味 『異国の味』刊行記念対談 稲田俊輔×甘糟りり子_2
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