企画終了後のブレイクと低迷…。そして再ブレイクの道へ

続く「ヨーロッパ編」は欧州に入るまでのパキスタン・イランがとにかく過酷で日中は50℃になる砂漠地帯で何度も命の危険を感じる。

最後は船でドーバー海峡を渡るのに大苦戦したが何とか成功。深夜に港についてからロンドンまでの30Kmを寝ずに歩き、ついにゴールのトラファルガー広場へ。

190日間、半年以上の旅を終え感動のゴールを果たしたはずが、そこは電波少年。続いて「南北アメリカ横断ヒッチハイクの旅」のオファーが……というところで日記は幕を閉じる。

結局、猿岩石は南北アメリカヒッチハイクのオファーを断り、代わりにドロンズがそのオファーを受け旅立つことになった。その後、有吉と森脇は『白い雲のように』を歌い、100万枚を超える大ヒットを飛ばした。

しかしその後、人気は徐々に落ち、2004年に猿岩石は解散。森脇は職を転々とし、芸能界を引退したり戻ったり。一方の有吉はどん底に仕事がない状況から、テレビ朝日『内村プロデュース』などをきっかけに徐々に人気を回復。そして今や日本一のタレントまで上り詰めた。

『白い雲のように』(日本コロムビア)のジャケット写真。1996年に発売され、翌1997年にはミリオンセラーになったが、その年の『NHK紅白歌合戦』には落選している
『白い雲のように』(日本コロムビア)のジャケット写真。1996年に発売され、翌1997年にはミリオンセラーになったが、その年の『NHK紅白歌合戦』には落選している
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有吉の「芸」に感じられるヒッチハイクで得た優しさ

『猿岩石日記』の「あとがき」で、有吉はこう書いている。

「旅したことはスゴイけど、なんか人気がスゴイとか言われても僕達自身は何も変わっていない。変わったとすれば、旅でたくさんの人に優しくしてもらって、人に優しくしてもらうことがどんなに嬉しいかよく分かり、僕達も少し人に優しくなっただけだ」 『猿岩石日記〈Part2〉怒涛のヨーロッパ編―ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』(日本テレビ放送網)より

有吉弘行は義理堅く、優しい人だ。今もバラエティ番組の中で、他の出演者を罵倒したり毒づいていたりするように見えて、他の出演者が輝くシチュエーションをさりげなく作っていたりする。

そもそも『有吉の壁』は、有吉自身が救われた『内村プロデュース』を、さらに若い世代のためにやっているとも言える。

極限のヒッチハイクや芸能界のどん底で人の優しさを経験しているからこそ、今、有吉弘行は人に優しくいられる。そういう考え方が、彼の芸能生活の根底に流れているのだなというのが今回『猿岩石日記』を読んで改めて感じたことだ。

有吉の最後のコメントは「最高の旅だった。またやってみようかな。いやつらいから。でも、うーん。よし、いつか必ずやろう!楽しいから」であった。

芸能界の頂の景色を見た有吉が、この過酷なルールの旅を再びすることはないかもしれない。そもそも190日も彼の時間を拘束することはもはやできない。

しかし同じルートであの時お世話になった人を探しにいく旅はおもしろそうだ。今度は高級車と飛行機ファーストクラスの旅でもいいから、ぜひ再び同じ道を旅してほしい。


文/前川ヤスタカ イラスト/Rica 編集協力/萩原圭太