やなせさん入社試験時の受付が暢さん
今週からヒロイン・のぶが高知新報に戦後初めての女性記者として採用され、新聞記者として現場を駆け巡るシーンが本格的に始まった。
嵩(たかし)とのぶは幼馴染として描かれているが、2人のモデルとなっているやなせたかしとその妻・暢(のぶ)の実際の出会いは戦後の高知新聞社だった。
脚本を手掛ける中園ミホ氏は、集英社オンラインの取材に対し、
「前半は幼馴染にしてしまいましたが、2人が出会う高知新聞社のシーンからは、当時の貴重な資料もお借りして、かなり史実通りに書いています。2人にとって高知新聞社にいた時期はとても短かったんですが、戦後直後に2人があそこで出会ったというのはすごく意味があることだと思うので、大切に書きました」
と作品への想いを語った。
では、実際のところはどうだったのか。高知新聞社に話を聞いてみた。
やなせたかしさんが高知新聞社に入社したのは、中国の戦地から戻った終戦翌年の1946年5月24日。27歳のときだった。
最愛の弟である千尋さん(22歳)の戦死を知り、廃品回収の仕事をしながら茫然自失の日々を送っていたというが、進駐軍の兵舎から持ち帰った雑誌を眺めるうちに、亡き父と同じ新聞記者の仕事に興味を持ち始めた。
その年の5月に高知新聞社の採用試験を受験。その際、試験会場で受付をしていたのが、やなせさんより3カ月早く入社していた暢さんだったという。
暢さんは20歳のときに最初の夫と結婚したものの、7年後に病死し未亡人となった。その8日後、高知新聞の「婦人記者募集」の記事を見つけ、狭き門を突破。高知新聞社が女性の社会進出を目的に、戦後初めて採用した女性記者の1人だったという。
作中でも新聞記者として働き始めたのぶが、社会部の記者から「女はええにゃあ」と言われるシーンがあったが、当時の社内報にも暢さんが受験生から「受け付けの女の子」と軽く扱われたことなどが記されており、まだまだ女性が男性と対等に働くことが困難な時代だった。