10月6日、NHKが大晦日に放送する「第74回紅白歌合戦」の司会を発表、橋本環奈、浜辺美波、NHK高瀬耕造アナとともに、有吉弘行が選ばれた。

有吉といえば、今や各局で冠番組を持つ大物芸人だが、そんな彼が発表時にこんなコメントを出したのだ。

「一番尊敬している内村光良さんが以前、紅白の司会をしていたのを見ていて、いつか内村さんのようになりたいと目標にしていたので、信じられないです」

毒舌芸でテッペンに上り詰めた有吉のこんな殊勝な言葉に、昔からのお笑いファンは胸アツになったことだろう。

だが一方で、有吉とウッチャンナンチャン・内村の絆が結ばれたのは20年ほど前までさかのぼり、近年はほとんど共演がないため、最近の若い人たちやライト層のお笑い好きのなかには、彼らの関係性を知らず、内心「?」となった人もいたかもしれない。

そこで本稿では有吉が内村の名前を出した「深いいワケ」を紐解いていきたい。

 『アメトーーク!』で再ブレイク前夜の有吉は…

1994年にお笑いコンビ・猿岩石を森脇和成と結成した有吉は、1996年に『進め!電波少年』(日本テレビ系)内の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」企画で大ブレイク。当時は書籍を出せばベストセラー、CDを出せばミリオンセラーと、アイドルのように黄色い声援を浴びる存在だった。

しかし人気は続かず、その後一気に低迷。テレビ出演がほとんどない不遇の時代が何年も続き、コンビは2004年に解散。有吉本人いわく「地獄を見た」時期であり、世間では一発屋のように思われていた。

有吉が本格的に再ブレイクしたのは、2007年に出演した『アメトーーク!』(テレビ朝日系)がきっかけだ。品川庄司・品川祐に「おしゃべりクソ野郎」とあだ名をつけて大爆笑をかっさらい、それ以降“あだ名命名”と切れ味鋭い毒舌で各番組に引っ張りだこになっていったのだ。

紅白司会に抜擢の有吉弘行が「いつか内村さんのようになりたいと目標にしていた」と、内村光良の名を出した「深いい」ワケ_1
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けれど、よくよく考えてもらいたい。

そもそも2007年ごろには、『アメトーーク!』にたびたび呼ばれる程度にはテレビ露出が回復していたということだ。そして、このように有吉が再びテレビにちょこちょこ出られるようになったのは、2000年から2005年まで放送されていた内村の冠番組『内村プロデュース』(テレビ朝日系、以下『内P』)のおかげだったのである。

『内P』はサングラスをかけた内村が怪しいプロデューサーに扮し、若手・中堅芸人たちの大喜利や一発芸、即興コントをジャッジしていくお笑い純度の高い番組。ボケ倒す芸人たちに、内村が愛あるイジリやツッコミを繰り広げており、温かい雰囲気を持つ番組でもあった。

そんななか、MCのイメージが強い今の有吉の姿からは想像しづらいかもしれないが、『内P』ではミュージカル『キャッツ』のようなメイクをし、裸で人の家の風呂に勝手に入っている「猫男爵」というイロモノキャラで登場していたのだ。

ほとんど“消えて”いた有吉を起用し、根気よくチャンスを与えていた『内P』。そして、内村からの期待に見事応えていった有吉は、番組に欠かせない準レギュラーとなっていったのである。