「亡くなった1人1人に名前がある」
――そういう意味でも、解像度を上げて報道を見るために、視聴者にできることはありますか?
刺激的な見出しや映像に対して一旦、距離をとることが大事かなと思います。初期のころ、イスラエルがガザの病院を空爆して500人が死んだという情報に、世界中のメディアが飛びついたんです。でも、実はあれはイスラム聖戦というパレスチナの武装勢力が打った不良品のロケットが病院に落ちたことによるもので、亡くなった数も40~50人でした。もちろん、それでも大変な惨事ですが、それについては僕も「表現が間違っていました」と、Xで訂正のポストをしました。
つい先日も、パレスチナ人の抱いている赤ちゃんの遺体が人形だったのではという報道がありましたが、あれも常識的に考えたらありえないんですよね。そんなきれいな人形なんて残されてないし、そもそもあれだけ赤ちゃんが死んでいるんだから、人形で仕立てる意味がない。でも、エルサレムポストという信頼できるイスラエルの新聞社が報じたものだから、僕の中にもちょっと「もしかしたら……」という気持ちがありました。
結果的に、いろいろな検証記事が出て、エルサレムポストも取り下げましたが、今後もこのような刺激的なものがSNSを中心にバンバン流れてくると思います。だから、自分が引っ張られたときこそ「危ない」と思える感覚ができていけばいいかなと思います。その意味では、今回のことでみなさんの情報に対するリテラシーはかなりついてきているんじゃないかなという気はしています。
――死者数も、イスラエルとパレスチナの発表でだいぶ差がありますからね。
そうですね。ぶっちゃけ、あれも数えようがないんですよ。実際は、パレスチナ側の発表よりも多いと思います。というのも、絨毯爆撃をされてるので、数千人規模で人が埋まっていて、誰も救出できない状態なんです。
ここにもイスラエルとパレスチナの非対称があって、「この人たち、1人1人に名前がある」として、イスラエルの大学の講堂に亡くなった千数百人の名前と写真を並べた「We are NOT numbers ウィー・アー・ノット・ナンバーズ」という式典が行われたのですが、これってパレスチナ側にも当てはまることなんですよ。市民の命に優劣はないはずなのに、その観点を抜きにして、僕たち日本人がイデオロギー対立に陥ってはいけないと思いました。