搾取され続けてきたプロ野球選手の実態
聞き手の関心はまず、 組合をつくることの必要性をいつから、なぜ感じていたのかということにあった。
「それは自分が巨人の選手会の副会長になったときから考えていた。会長がキャッチャーだった吉田(孝司)さんで、それを補佐するかたちで結構若いころから、球団にものを言う立場には就いていたんだよ。ところが、当時の野球界は保守的な世界でとにかく一方通行だった。労使関係なんて発想がほとんどなくてね。とにかく言いなりだったよ」
庶民の生活からすれば、天文学的な年俸を享受し、流行りのブランドを身にまとい、高級車のハンドルを握り、オフには人もうらやむ生活を雑誌のグラビアで飾る。一見、派手でその世界に入りさえすれば勝ち組であるかのように思われた。
しかし、当時の野球協約にはいくつも問題があった。職業選択の自由を奪っている条項があり、また、オールスター出場時の報酬も雀の涙で、機構側にそのほとんどを取られていた。中畑は実態を吐露する。
「一見、派手に見える生活と、現実とのジレンマ…その闘いでもあったね。高い給料もらってるのは一握りの選手だし、出費も多く引退後の保障もない。それにプロ野球選手は個人事業主でひとりひとりが社長だというけれど、でもその社長にまったく自由がなかったんだ。
移動日もオフも、ものすごく拘束される。身体を休めたくても球団に言われれば、イベントにも出なきゃいけない。大事にされているように見えて、実際は我々選手の要望なんてまったく聞いてもらえず、搾取され続けてきた。駐車場を使わせてくれとか、選手の施設に冷暖房をつけてくれとか、そんな低レベルの話も却下された。それで自分が選手会長になったら、やはり、組合をつくるしかないと思ったわけ」
ちょうど年齢的にも昭和28年生まれの中畑の同級生たちが円熟期を迎えていた。
「球団ごとに選手がばらばらだと、やっていても風穴が空かないのは痛感していた。ちょうど俺と近い年齢の選手たちが、各チームの主力を担っていて、たまに会って話すと皆、同じように苦労しているんだよ。プロは個人ごとに契約を球団と交わすけど、全員でまとまらないといつまで経っても変わらないぞと説いたんだ。メジャーの選手たちがユニオンをやって規模がどんどん大きくなっていく、その流れも見ていたしね」