「現実に生きている私と、もう一人の私が、隣なり、後なりにいるんです」
最初は型通りに、終わったばかりの世界歌謡祭について訊ねたが、「グランプリに選ばれたのが自分のことではないように思っていた」と語ったのが意外だった。「今でもスタッフの一人みたいな気持ちで、ひとごとのような気がする」と。
ポプコンでグランプリを獲得した時から世界歌謡祭の本番が終わるまで、毎日のように歌の出だしを失ったり、詞を間違えたりする夢を見たこともあった。
ゆっくり考えてから口数少なく語られる言葉のいくつかを、僕はノートに書き留めながら、ソングライターとしては何曲の持ち歌があるのか尋ねた。
少し間があってから、「130曲」という答えが返ってきた。その時の自信のある表情が、とても凛々しいものに感じられた。
しばらくの沈黙の中で、僕は予定していた生い立ちや音楽との出会いといった、ありふれた質問をやめることにした。
そして『アザミ嬢のララバイ』のような私小説的な歌が生まれてくることは理解できるけど、『時代』のようなスケール感を持つ普遍的なメッセージの大作が、どうして自分と同じ歳の若い女性から生まれてきたのか、そこがよく分からないのだと正直に疑問を口にした。
彼女は慎重に言葉を選びながら、訥々といった感じでソング・ライティングの方法を話し出した。
「現実に生きている私と、もう一人の私が、隣なり、後なりにいるんです。そのもう一人の私から送ってくる何かを、私は待っているんです」
「もう一人の私」から送られた何かを待っていて、歌ができてくるというのである。幼稚園の頃から自分の歌を歌っていたらしいと、当時を知る人から教えられたこともあったそうだ。
「変わってないのかなあ。ずっと前から、歌は一部分だったような気がします」
きちんと理解できたわけではないが、十分に納得がいく言葉だった。「当時を知る人」とは誰だったのか、「お父さん? お母さん?」と言いかけたが、これもやめた。
本当に聞きたかった核心を話してもらえたと思ったので、彼女の言葉をメモしていたノートに「もう一人の自分」と書いて、取材を切り上げた。
まだ30分も経っていなかったが、それ以上の話をする余裕も経験もなかったのだ。それから覚束ない手つきで一眼レフカメラを取り出し、カフェの入口の脇に立ってもらってバストショットを数枚だけ撮影した。
ほとんど練られていない拙い文章は、こんな言葉で締めくくられていた。
世界歌謡祭のグランプリ受賞の栄光を手にしても、自分自身のために歌っていく姿勢は、一生変わることはあるまい。その一貫した歩みの中で、おそらく日本の音楽界に確かな足跡をしるしていくのであろう。