23歳でも少女のような面影があり、
清楚で真面目な人だというのが第一印象

ところで僕(筆者)が、中島みゆきというシンガー・ソングライターが、『時代』を歌って世界歌謡祭のグランプリを獲得したというニュースを知ったのは、翌日となる1975年11月17日のことだった。

当時、僕はミュージック・ラボという会社の入社2年目の若手営業部員で、主に広告を取ってくる仕事をしていた。

そして会社に対して歌謡曲ではなくフォークとロックに特化した、新しいチャートと記事のページを作るように提案して認められ、毎週数ページの「NOW! FOLK&ROCK」というコーナーを企画して、自分でも文章を書き始めていた。

中島みゆきの取材をするように言われたのは、そうした社内事情によるものだった。手元にある「週刊ミュージック・ラボ」の1975年11月24日号には、世界歌謡祭の模様を伝える見開きの記事が掲載されている。

「NOW! FOLK&ROCK」でも小さいスペースだったが、「特別インタビュー 中島みゆき」が載った。

世界歌謡祭の時にアコースティック・ギターを手にして歌う中島みゆきの写真を用いた『時代』(キャニオン・レコード)のジャケット写真
世界歌謡祭の時にアコースティック・ギターを手にして歌う中島みゆきの写真を用いた『時代』(キャニオン・レコード)のジャケット写真

僕は昭和27年の早生まれで、中島みゆきと年齢も学年も同じだったので親近感を持っていた。「好きなタレント」という質問の返答に、ジョーン・バエズとPPMに続いてメラニーとあったことにも好感を抱いた。

取材は港区の飯倉にあった洒落たカフェで行われた。晩秋の午後に、中島みゆきと会った時のことは今でもよく覚えている。

世界歌謡祭の記者会見で「北海道に住み、普通の生活をしたい」と感想を述べていた彼女のことは、シンガー・ソングライターという表現者の道を選んではいても、きっと生真面目な感じの人なのだろうと勝手に想像していた。

現れた中島みゆきは、黒のタートルネックのセーターでほとんどノーメイクだった。そして23歳でも少女の面影があり、清楚で真面目な人だというのが第一印象だった。

お互いにまだこの世界に足を踏み入れたばかりで、ぎこちない自己紹介があってからインタビューが始まった。